FAX:03-5332-3972 〒169-0074 新宿区北新宿1-8-16【地図
メニュー

[連載] 仲間の声


第2216号 2017年7月20日付   NEW!

金婚式のお祝いに 両親へ旅行をプレゼント
配管 清水健

PHOTO
旅を楽しむ清水さんのご両親

 5月30日から6月2日にかけて、和歌山を旅行した。6月に両親が金婚式を迎えるにあたり、お祝いは何が良いかと尋ねたところ、父の生まれ故郷である、和歌山に行きたいとの希望があったからだ。
 故郷を出て単身上京して半世紀以上が過ぎた。父も80歳を過ぎ、望郷の念が強くなり、元気なうちに行きたいとの事なのだろう。今までも行き来はしていたが、冠婚葬祭などでの帰郷ばかりで、楽しむ旅行では無かった。
 4日とも晴天に恵まれ、とても良い旅行日和となった。パンダの繁殖で世界随一の実績を持つアドベンチャーワールドを皮切りに、南紀白浜の円月島、白良浜。徳川御三家のひとつ、紀州徳川家の居城、和歌山城。明治時代から終戦まで大阪湾を守る要塞の拠点となっていた友ヶ島。少々、強行軍での行動ではあったが、連休後の平日という事もあり、どこも空いていてゆっくりと楽しむ事が出来た。
 帰りの道中、愛知県にあるトヨタ博物館を訪れた。66年前、15歳で免許を取り、自動車整備士を生業としていた父には、楽しいところだろうと思い、立ち寄ったのだが、見事に的中。当時の思い出や、母と結婚当時の話に花が咲いた。
 両親とも思い出に残るいい旅行が出来たと、喜んでくれたのだが、「よくよく数えたら金婚式は来年だった」と最後に言われ、「えっ」となった。「年々足腰が弱くなってきているので、今年で良かった」とも言われ、胸をなでおろした。
 こちらも負けずに、「来年は旅行は無いよ」と告げ、お互いに笑って今回の旅行は幕を閉じた。(町田)

ブータンの幸福度も我々並み
板金 青柳興一

 6月2日から6日までブータンに行きました。今回は、山の仲間とチェレ・ラ・ガンという4100メートルの山に登りました。
 ちょうど眞子さんのブータン訪問とバッティング、お会いもしました。ブータンでは観光もホテルも国に決められており、なかなか国民の暮らしまでは見られず、本当に幸せなのか、わかりません。
 唯一ガイドだけはなんでも話せるので、「幸せですか」と聞いたら、「今はいいです」とちょっと含みながらの答えが返ってきました。それを見て、我々と変わらないと思いました。
 観光はお寺が多く、各郡に大きなお寺(ゾン)がありました。入るときは靴を脱ぎ、帽子を取ります。
 帰りは、私はみんなと離れて、5回目となるネパールを放浪しました。今回は中国航空で行きましたが、飛行機の中でボウルに入れてラーメンを食べる中国人にびっくりしました。(杉並)

▲ページの先頭へ


第2207号 2017年4月20日付

オートバイを処分 子どもの卒業まで我慢
電気 尾芦富雄

 私には息子と娘がいます。息子は大学へ、娘は高校へと2人とも希望していた学校へ行けたので大変良かったです。大学というのはとてもお金のかかるものです。学資の積立はしていましたが、先を見通すと足りなくなりそうです。
 そこで、かみさんから「お父さん。オートバイどころじゃないわよね」と言われてしまいました。私はオートバイが好きで、仲間とよく走りに出かけていました。車検や保険など、自動車並みにお金がかかります。ここはひとつ息子と娘が学校を出るまでは、我慢しようとオートバイを処分しました。
 仲間からは「少し休息だね」と慰めのことば。娘も大学へ行って卒業するころには、私も61歳になってしまうんだ。(清瀬久留米)

腰痛克服を実践してます
大工 新妻操

 2月18日、上野毛地区会館で上野毛分会の健康教室を開催し、東京土建国保組合の大山保健士さんから指導を受けました。
 私は2012年と2013年に坐骨神経痛で2回手術を受けました。その際は東京土建国保から給付を受けて助けられ、大変感謝しています。しかし手術したとはいえ、完全回復ではなく今も違和感がひどく苦しんでいます。
 大山先生は「腰痛で苦しまないために」と題して話をしてくれました。腰痛は国民病で1200万人が悩まされ、80%の日本人が腰痛になるとのこと。私は、大山先生から教えてもらったエクササイズを取り入れて、毎日できる範囲で体操しています。日々の目標を立て2週間チャレンジを続けたら、結果があらわれました。
 また毎日、自転車乗りと歩くことにも挑戦中です。自宅の近くにある多摩川河川敷に行き、長年続けてきた尺八を腹式呼吸法で吹くことと民謡を大声で歌うこともやります。心が和み、つらい痛みが少しでも解消されないかと実行しています。(世田谷)

▲ページの先頭へ


第2201号 2017年2月20日付

母子手帳に感激 3人目の孫誕生楽しみ
大工 細田恵子

 今日は娘一家が遊びに来る日で、私は仕事を早めに終わらせ帰りにスーパーに寄って、孫の好きな料理を作ってあげようと思い、お肉、野菜、果物など、かごいっぱい買い家に着きました。
 すっかり日が落ちて辺りは暗くなり、もうすぐ孫たちが来ると思い、急いで料理を作っていたら、玄関から「ただいま」の声と同時に孫2人が私のところに飛び込んできました。
 料理がテーブルに並べたのを見て、孫たちは好きなものばかりだったので、大喜びでした。「おばあちゃん、ありがとう」と言われ、私もうれしかったです。その食事中、娘が突然「これ、いただいてきたのよ」と言って、よく見たら、それは母子手帳でした。
 すごい。娘は42歳、3人目は無理だと思っていただけに私も主人も大喜びでした。3人の孫と遊べる日が楽しみです。(足立)

秋田から幸せ届く ランドセル喜んだ長女
設計 片平信男

 孫たち3人が夏休みを利用して秋田市から遊びに来ることが7月中旬に決まり、1年ぶりに会える喜びで、予定日までの20日間は孫たちに何をしてあげようかと考えるだけで楽しくなりました。
 次男は小学校4年となり、一段とたくましくなり身長も学年で1番だと報告してくれました。長女は小学校1年で、ランドセルがよっぽどうれしかったとみえ、学校生活を話してくれました。
 また次女は負けずと保育園のことをしゃべってくれました。
 孫たちとの3日間は、1日が何と短いのか実感する日々でした。
 楽しそうな孫たちの笑顔を見たり、笑い声を聞くたびに幸せをかみしめることができました。
 私は孫たちが健康に成長して、苦しまずに生活が送れる社会の実現に向け、仲間と力を合わせようと思います。(板橋)

ヨチヨチ歩き 絵かき歌好き
主婦 本山美知子

 ここ1年我が家では孫の成長を見守っている。
 1歳3カ月を過ぎ、両手でバランスを取りながらヨチヨチと歩き始めた。まるで上野動物園のペンギンのよう。家の中を自由に歩き回り、目についた物は片っ端から遊び道具になる。みかんをかごの中に一つひとつ入れたり、出したり30分はおとなしく遊んでいる。
 おもちゃなんていらない。お絵かき歌で「あっという間に、たこにゅうどう」が気にいって、紙とボールペンを持ってくる。たこの足の部分の「雨がザーザー降ってきて、あられがポチポチ」というのがすごくうける。面白いツボがあるようだ。何回も繰り返しやらされる。
 子育てはつくづく根気だと思う。最近は無表情の子どもが多いと町を歩いて感じる。私だけだろうか。我が家はせめて頭のいい悪いではなく感情のある子どもに育ってほしい。(台東)

▲ページの先頭へ


第2198号 2017年1月20日付

首相は米国の忠犬 トランプを早速訪問
塗装 諸星武司

 先日の米国大統領選挙では、予想を覆しドナルド・トランプが当選した。それを受けて、日本国総理大臣安倍晋三は、いの一番にトランプを訪問し、予定の会談時間の倍を費やして終ったと報道されていた。
 しかし会談後、10数日過ぎても、その内容は判明しない。この安倍首相の振舞は、独立国の首相としての矜持すら持ち合わせていないのか、ただ劣悪な人物としかいいようがない。まさに、米国の忠犬ポチの態度以外の何者でもない。
 さらに、先日インドへの原発輸出の契約というとんでもない約束までした。原発事故の収束のメドも立てられず、避難者の救済も満足に出来ていないにもかかわらず、まさに死の商人の先導役を買って出ているとしか言いようがない。
 世界唯一の被爆国、長崎、広島、そして福島の事故の惨状、現実を考えると、安倍晋三の無定見の政治に、満腔の怒りを禁じえない。心情的にも、倫理的にも容認できない。(多摩・稲城)

孫たちと過ごす時間が幸せ
事務 佐野直美

 私には、4歳と2歳になる孫がいます。上の子は今年から幼稚園に通うようになりました。お友だちもできて毎日楽しそうにしているので安心です。甘えん坊でいつまでも赤ちゃんのようでしたが、すくすくと育ち、お話が上手になったり、行事の度にお遊戯を見せてくれます。しかし本番になると、恥ずかしがって本領発揮してくれません。
 下の子はお兄ちゃんを観察して、秘かに踊りをマスターしようとしています。おしゃべりもとっても上手で大人顔負けです。
 娘たちが通っていた幼稚園なので、泣きながら門をくぐっていたことなどを思い出します。親子3代、共通に唄える歌があり、今ではすっかり母親になっている娘の姿を見てうれしく思います。
 平日は仕事などで自分の時間を過ごしていますが、今は孫たちに費やす時が幸せです。(足立)

▲ページの先頭へ


第2190号 2016年11月1日付

議員の起立は異常 許せない職業差別意識
塗装 諸星武司

 多摩市唐木田にある総合福祉センターに、月2回程、私用で行きます。先日、訪れた時、受付にあるテレビが安倍首相の所信表明演説を放映していました。突然、自民党議員が立ち上がり、拍手を始めました。戦中の翼賛国会、ナチス、北朝鮮を想起し、背筋が寒くなりました。
 翌日の新聞には、安倍首相が東シナ海、南シナ海の問題にふれて、海上保安庁・自衛隊・警察の諸君に「敬意を表そう」と呼び掛けたのに応じたものだとありました。安倍首相には、社会の底辺で働く、多くの人たちへの思いなど、ないとは言えないまでも、他であるはずです。私が月1回通院し、お世話になる医師、看護士、また建設現場などで働く土建の仲間、他の多くの職場で働く人があってこそ、世の中は「つつがなく」回っています。労働力が社会の原点です。
 領土、領海を守る任務だけを、首相が特別に国会で取り上げ、拍手を促したのは、社会の仕組みが理解できない世襲議員の未熟を明かすものです。このことは、国民に対する差別意識を感じ、断じて許すことはできません。(多摩・稲城)

▲ページの先頭へ


第2187号 2016年10月1日付

努力賞です杉浦さん 8月20日号の記事を読んで
建築事務 深作清美

 「けんせつ」8月20日号掲載の三鷹武蔵野支部、杉浦由美子さんの「夫の病気は妻の責任」がすごく気になりペンをとりました。
 「夫の病気は妻の責任」とおっしゃったお母様の時代と違い、環境の変化、ストレス、食品添加物も多い現代です。朝4時半までに弁当を持たせることは並並ならぬ愛情と努力の賜物だと私は思います。「時時深く悩みます」と書かれたことがとても心配です。私は努力賞をあげたい気持ちでいっぱいです。
 現在、私の夫は入院中です。脊髄狭窄症の手術を受けました。腎機能低下も指摘され、二人で栄養指導を受けました。夫は酒もタバコもやりません。私も杉浦さんのように手作りの食事に気を付け、秋で結婚50年になります。
 組合の健診を毎年受け、健康教室にも参加してきました。「病は気から」ということわざがあります。杉浦さん、ご主人とハイタッチを交わして明るくがんばりましょう。(練馬)

農家にジープで訪れた米兵
大工 新妻操

 私の生まれは福島県相馬郡(現、相馬市)で、家は貧しい小作農家でした。小学1年生の時、家の玄関前にジープが止まり背の高い軍服姿の2人が降りてきて、ボロ屋を覗き込むようにしていました。両親とこども12人はビックリして声も出ませんでした。
 私が笑顔で「こんにちは」というと、怖くないからよろしくねと、初めて見るチューインガムを家族の人数分手渡してくれました。食べるのではなく噛むんですよと優しく教えてくれたアメリカ兵の姿を今も忘れません。私たちの住んでいた隣村に軍事工場があり、今からそこにいくところだというのです。もう戦争はないから安心してねと手を振ってジープで走り去りました。
 後で家族からアメリカ人の言葉を聞いてわかったんかと言われましたが、何となく通じたよと答えました。(世田谷)

▲ページの先頭へ


第2186号 2016年9月20日付

アベマリオは御免 12億円の演出費に怒り
塗装 諸星武司

 リオ五輪は皮相的にはメダル獲得競争の態をなして終った。その渦中の選手には、大きな重圧に耐え、闘い抜いたことに大きな拍手を送りたい。強い者が勝つさと、斜めに構えている自分でも幾度か五輪放送のチャンネルを選択した。
 その中で、閉会式の録画ニュースが目に入った。安倍首相扮するマリオが画面にクローズアップされた。目を疑った。日本国総理大臣がこのような道化をするとは。政治の場で軽い人物だと思っていたが、ここまでやるとは呆れるのみ。
 スポーツの最も聖なる祭典のオリンピックに、政治的利用や関与は許されない。安倍マリオは御免こうむる。報道では、マリオの演出費用は12億円、あらためて「ふざけるな」と…。
 今後、何かにつけ、五輪が優先されるだろう。私たちを取り巻く情勢はきびしい。アベノミクス、原発再稼動、試練の憲法、安倍反動政治に負けてはならない。(多摩・稲城)

母高が優勝 喜びを実感
看板 前原勝美

 真夏の甲子園球場で第98回全国高校野球選手権大会が開催。地方大会を勝ち抜いた49の代表校で熱戦が連日繰り広げられた。
 地元代表の期待と声援を背に受け力一杯戦って、試合に負けた時点で涙ながら、聖地を去ることになる。
 今大会注目投手で『BIG3』と評判のチームが優勝候補だったが3回戦までに、3チームとも姿を消した。
 私の母校作新学院が2回戦から登場。今井投手は甲子園で自己最速を更新。152キロの直球と切れのある変化球を投げ分け、香川代表の強豪尽誠学園を3対0で完封勝利し、校歌を熱唱。3回戦以降も強敵を撃破。ついに決勝戦だ。37回出場の北海が2回裏に先制したが作新は4回表に大逆転。7対1の勝利。
 実に54年ぶりで2度目の優勝。級友、OB、栃木県民の皆様と共に喜びを実感。栃木出身の仲間と作新学院関係の皆様優勝おめでとう。(町田)

▲ページの先頭へ


第2183号 2016年8月20日付

両親は心のなかに 無事で過すことに感謝
ガス 齋藤政晴

 半世紀生きた。40代までは死について、車椅子の物理学者S・ホーキング博士が言う「人の命は電気製品と一緒で死んだら終わり、魂は存在しない」と信じてきた。要するに死後の世界は存在しないことである。
 父は随分前に他界していた。母は70歳を過ぎた2年前から食が細くなり痩せて、病院で何度も診療してもらったが、原因不明だった。昨夏の検査で末期の膵臓ガンということが判り、余命宣告を受けた。
 亡くなるまでの3カ月間、自身の終日を知ってしまった人はどうやって過ごすのだろうと傍観していた自分がいた。
 亡くなってわかったのは、両親は自分の心の中でしか生きられないということ。両親を亡くして、ようやく平穏無事で過ごせることが有り難いことを知った。両親が見守ってくれているのだろう。
 夏休みは皆で庭を整備して種を蒔き、母が好きだった花を咲かせて仏壇に供えてあげたい。(江戸川)

▲ページの先頭へ


第2180号 2016年7月20日付

投票するならクリーンな人
設計 岩武佐代子

 私は時給930円で働くパートのおばちゃんです。今、すごく腹立たしく非常に怒っていることがあります。
 微々たる給料でも所得税が差引かれます。年度限度額を130万円にしているため、市民税・都民税も払います。60歳を過ぎ、年金納付が終了したため控除額が減り、その分税金が加算されます。先日、市・都民税の通知が来て4期分、日給の6日分の納付を命じられています。
 汗水流して得た収入を泣く泣く、税として納めているのに、その使われ方はどうでしょうか。果たして民のためになっているのでしょうか。
 舛添問題、オリンピック、地方・国会議員の金遣いを見ていると、とても民のためとは思えず、私利私欲、無駄遣いばかりです。これでは、税金を一円たりとも払いたくはありません。今度の選挙では、「クリーンでよく働いてくれる人」を選ぼうではありませんか。(多摩・稲城)

坐骨神経痛は恐ろしい
大工 新妻操

 私は最近会う仲間から、やせたね、背が低くなったねと言われますが、この病気だけは、坐骨神経痛になった人間でなければ分からない、まさに恐ろしい病気です。痛さで歩くことも這うこともできない。
 背骨の関節の病気で、人間の背骨と背骨の間に俗にいうパッキンが入っているらしく、言葉では表せない痛さと、体重どころか背も低くなってしまう。
 簡単に「やせたね、身長が低くなったね」と言われますが、仲間の皆さんも坐骨神経痛にならないように、とくに注意してください。元気が一番です。
 自分は、健康だけは誰よりも自信がありましたが、坐骨神経痛には頑固な私も勝つことができませんでした。
 その時に思ったことは、東京土建に加入していて本当に助けられたということです。命の恩人へ恩返しにコツコツと拡大袋を手に足を引きずり、東京土建に加入してください、こんなメリットがありますと語りかけながら回っています。(世田谷)

▲ページの先頭へ


第2178号 2016年7月1日付

署名頑張る藤嶋さん 特別でない普通な人声かけ
冷暖房 青木 清

 「2000万人集めないと負けちゃうんだから」。近所の人がたまたま家に立ち寄ってくれたので声をかけました。よく行く飲み屋さんでも「誰でも同じだけど戦争は嫌だよね」そう言って皆さん署名してくれました。
 不動分会の藤嶋由美子さんは戦後の生まれ、父親はシンガポールまで戦争で行ったが、無事帰国。母方の伯父はシベリヤで抑留中に亡くなったそうです。自由なものの考え方が大事だとは中学の先生に教えられたと思いますと語ります。
 昨年の9月19日、安保法制が成立した夜はいたたまれずに一市民として国会前に駆け付けました。「自由にモノが言えることが大事。今の生活を守りたい。戦争はイヤ」。そんな気持ちが藤嶋さんを動かしました。
 町会での付き合いで協力することもありますが、「安倍のバカが…」と言える場所も少なくなりました。そんな中で東京土建に入っているといろんな情報も入り、学習や運動にふれる機会も多く頭がリフレッシュするそうです。
 どうしてそんなに署名が集められるのときくと「特別な人がやってると思うと署名をするのをためらうけれど、私のような普通の人間が声をかけるからやってくれるんじゃないかしら」と答えが返ります。
 誰でも戦争反対だけど表現する手段がない、そこでお願いすることが大事といいます。
 戦争させない・9条壊すな!総がかり行動実行委員会が提起した「戦争法廃止を求める2000万人統一署名」は、藤嶋さんのような人たちの力の結集で1200万を超えています。(目黒)

「衣の下に鎧」の 増税延期にだまされない
塗装 諸星武司

 通常国会が先日閉会し、安倍首相は記者会見で来年4月に予定していた消費税率10%への引き上げを、2019年10月まで、延期すると表明しました。
 日々の生活に追い立てられている人々にとって、ほっとした感もあると思います。しかし気を取られてはいられません。7月10日の参院選、第3次安倍内閣にとって初の国政選挙は「安倍政治」こそ争点です。
 首相は70年守ってきた平和国家を戦争する国に変質させようとしています。特定秘密保護法、安全保障関連法など、国民の強い批判をよそに法制化しました。その際、首相は国民に対し「ていねいな説明」をと言明していましたが、未だなされていません。この人物の不誠実な人間性を、如実に物語っています。
 経済も大切ですが、国の根幹は平和です。この安倍政治を見ていて「衣の下に鎧」の古事を思い出します。卑劣極まりない安倍晋三にたぶらかされるわけにはいかない。
 7月10日には、怒りを込めて安倍政治ノーの一票を投じねばと思います。(多摩・稲城)

▲ページの先頭へ


第2174号 2016年5月20日付

我ら主権者は不屈 参院選後に改憲狙うアベ
塗装 諸星武司

 NHK番組で安倍首相は「自公だけでなく改憲を考えている責任感の強い人たちと、3分の2を構成していきたい」と語り、夏の参院選では与党の自民、公明両党に加えて、おおさか維新の会なども含めて、改憲の発議が可能となる3分の2を目指す考えを表明した。今国会でも9条改憲、国防軍保持を強く訴えた。
戦後70年、平和という点ではきわめて危機的状況にある。憲法9条とは真逆の集団的自衛権行使容認を法制化した。戦争を知らない男が、戦争する国へと突き進み、加えて平和憲法の廃絶を公言している。
私は今年で80歳を迎える。先の戦争を体験した最後尾の一人である。戦争は破壊と人命を奪う極悪非道以外の何ものでもない。必ずや安倍政治の無法ぶりは糾弾されるでしょう。最後につたない三十一文字を記して終ります。
「七十年守りし九条危機にあり負けてはならじ主権者われら」(多摩・稲城)

津波にのみこまれた親戚
大工 新妻操

 東日本大震災から5年が過ぎました。
 故郷相馬の家族の安否を確認のため電話をかけても3日間まったく通じませんでした。実家の甥から「助けてくれ」の泣き声に気が動転してしまいました。
 どうしたのかとたずねると、父ちゃん、母ちゃんが病気で寝ているところに大津波が押し寄せ、のみこまれたというのです。消防団や地域の仲間、家族で津波が引いた後に捜したが人影がない。その時、誰かが1階押入れの天袋の中から足が出ているのを見つけ、救出はされたものの津波にもまれ寒さと疲労で病院に運ばれました。
 たまたま甥が大工だったためにかろうじて残った住宅を応急的に家族が住めるようにがんばりました。両親は自分の家で眠れるのが一番だとよろこびましたが、大津波にもまれた身体が回復するには至らず、亡くなりました。本当に悔しさがこみ上げて夜も眠れませんでした。(世田谷)

▲ページの先頭へ


第2165号 2016年2月20日付

温泉旅行のお年玉 面倒みた他人の子から
大工 相原辰子

 一昨年のくれに突然、20年くらい前に生後6カ月の男の子を預かった親から電話があった。お正月に息子が成人し、春から就職するので、温泉を予約したのだが、息子が行かないというので行ってほしいとのこと。その親は娘の友だちでシングルマザーになったため、たまに子どもをみてほしいとのこと。
 保育園の送り迎え、食事、入浴まで、子どもでも孫でもなく、何となく変な間がらだが、家族のように親子のように接していた。その子も成人し、連絡もとだえていた。
 うれしい電話でした。あの子がもう成人し、大学を出て就職とは。何よりも素直に育ってわが子以上に感激した。
 もちろん、温泉旅行もひとつ返事で行かせてもらった。夫婦で温泉なんて久しぶりでした。ステキなお年玉をありがとうと伝え、成人したお子さんに会いたい気持になりました。(練馬)

元気なうちに楽しむ 夫の兄弟たちと伊豆へ
主婦 松浦由紀子

 11月10日、11日と主人の兄弟たちと伊豆の温泉旅行に行ってきました。
 一番上の姉が80歳を過ぎていますので、皆元気な内に楽しもうということで、春と秋に旅行をすることに決めました。
 今回の旅行は、1泊の最初1日中雨でしたが、熱川のバナナワニ園を見学しました。大木の大変大きなバナナにびっくり、見たこともない草花がいっぱい。色とりどりのランも大変すばらしかったです。
 2日目は晴天に恵まれてよい旅行となりました。
 紅葉にはちょっと早かったようですが、おいしいものときれいな空気を吸ってとても幸福な思いがしました。
 私が一番年下なので、みなに長生きして楽しい人生を送ってほしいと願っています。(板橋)

大切な孫娘たちの成長願う
主婦 穴沢弘子

 わが家には2人の女の子の孫がいます。私たちには男の子が2人だったので、孫にはどうしても女の子がほしかったので、お嫁さんに女の子を産んでとたのみました。
 初めて孫を見て、女の子ですといわれたときのうれしさが今でも忘れられません。
 その孫が今年の春に高校を卒業します。大学も無事受かり、家族全員一安心の毎日です。高校生のときは毎日30分もかかる学校まで自転車で通学。雨の日も風の日も1日も休まず、よくがんばってかよいました。
 その強い気持でこれからの大学生活、いろんなことがあると思いますが、がんばってほしい。社会に出てもやさしい心でたくさんの友だちを作ってエンジョイしてください。次女も高校で吹奏楽部でがんばっています。わが家にとって、この2人はとてもだいじな孫です。(板橋)

▲ページの先頭へ


第2163号 2016年2月1日付

秋風に吹かれて散歩 家族との幸せなひととき
土木 藤本武明

 「今日、晴天なので公園に行こう」将明が休みの朝に声をあげた。
 10月12日金太(ハムスター)を入れて家族4人、品川区民公園へ妻スエ子(80歳)のペースでゆっくり歩いた。
 「スエ子が認知症かな」「加齢による物忘れかな」と感じ始めた。歩くことが薬だ。
 高齢化の進展とともに、認知症の人数も増加している。65歳以上の高齢者では2012年度の時点で7人に1人だそうだ。
 公園に入ると少年野球の元気な声、ピー、ピーとヒヨドリが今年も大合唱だ。
 自転車事故をして2年ぶりで、ケヤキも黄色く紅葉。「秋風が気持いいな、ヒザの痛みも薄れ、弁当もおいしいよ」と笑った。
 キョロ、キョロの金太も公園デビュー、こんな小さな幸福が長くつづきますように。
 「よかったね母さん」と肩をたたいて、いい出しっぺの将明が高笑いした。(品川)

豊かな故郷の新潟県妙高市
大工 岡田健悟

 私は新潟県新井市に生まれました。今は新潟県妙高市となり、自然豊かな所です。
 お米、水、お酒のおいしいふるさとです。春夏秋冬の季節は格別です。特に温泉、山菜、紅葉、スキー、登山など。食べ物はお米、野菜としては大根、ごぼう、白菜、にんじん、さつまいも、里いも、あといろんなものがたくさんあります。
 温泉としては赤倉、池の平、つばめ、関、妙高などがあります。登山としては妙高山、焼山、黒倉山、いろんな山がある、そんな環境の中で育ったのです。
 仕事は機械科を卒業して日本電気「NEC」データ機械事業部に配属され、そこで約3年半勤務。その後、建築専門学校に通い、建築一般知識を身につけ、現在にいたります。
 私のとっておきのぜいたくとして、新潟のお酒、越乃寒梅、久保田が大好きです。仕事あがりの一杯は格別です。
 二番目の楽しみはゴルフ。醍醐味は自然の中でのプレーです。(小平)

▲ページの先頭へ


第2159号 2015年12月20日付

初のお伊勢まいり 息子からのプレゼント
主婦 角田孝枝

 私はうまれて初めてお伊勢まいりに行くことができました。11月1日から3日間、長男夫婦と孫と私たち夫婦6人で、長男の運転で夜中に家を出て6時間、当日は伊勢神宮の周りで大学駅伝があり、道路が閉鎖され、まずは熊野古道を歩くことになり、石畳の急な坂道を2時間歩きました。
 実は私が8月に大腸のポリープがみつかり手術をしたので、長男が気づかい、元気な内にと旅行をプレゼントしてくれたのです。
 2日目は雨のため鳥羽水族館で孫のおつきあい、マンボウのかわいい目に感激。1日中あきずに遊びました。
 3日目は晴天で、伊勢神宮の玉砂利の道をゆっくり進み、健康と息子に感謝しながらおまいりしました。
 神秘的な空気のなか、身も心もすがすがしく、もっとゆっくりと思いつつも、内宮、外宮を回ると時間もあまり取れず、ぜひもう一度きたいと思いました。
 みんなで名物の「赤福」をいただき、おみやげを買って、帰路につきました。
 思いがけない息子のプレゼントでした。(小平)

入所できてひと安心 シベリア抑留行きぬいた父
大工 佐藤雄二

 私の父は太平洋戦争の終戦後に武装解除され、投降したシベリア抑留者です。
 強制労働が行なわれたことで、多くの戦友の大切な命を失ったのです。
 父は戦前はボイラーの仕事をしていたので、その技術を見こまれて極寒の地でありながらも暖かい場所で働かされて食事にも恵まれ、命をつなげたと話しています。
 その父も介護支援を受けながらくらしていましたが、3年前から糖尿病になり、病院通いとなりました。
 私は月に2回は町田と父の住む足立区を往復する生活の中で組合活動に奔走しました。
 今月に入って認知症となり、一人ぐらしが困難となったので、町田にある介護老人施設に入所できたことでひと安心です。(町田)

▲ページの先頭へ


第2148号 2015年9月1日付

怒りこめ抗議する 国民あざむく首相70年談話
塗装 諸星武司

 8月14日、安倍首相は戦後70年談話を発表した。3300字余りの長広舌の、村山、小泉談話の3倍だといわれている。自己中心的な国会答弁と同じく、人の心を打ついささかなものもない。語り口の多くは、「私」ではなく「私たち」を使っている。悪政の元凶の首相と、同列におかれることに嫌悪を禁じえない。また、支配者と被支配者を同列に論じている。この人物の歴史観の欠如を示している。
 謝罪については、子や孫に背負わせてはならないと。加害者の立場を忘れ、身勝手な話という他ない。
 結語で、積極的平和主義の旗を高く掲げていくと訴えた。これは武力行使も辞さない非戦平和の対極にあり、憲法の理想とは逆の立場である。談話には戦争の惨禍をくり返さないとある。自己矛盾もはなはだしい。まさに国民をあざむくものだ。
 この談話の反省、謝罪は偽りなのか。このような偽言は断じて許せない。万斛(ばんこく)の怒りをこめて抗議する。(多摩・稲城)

平和掲げ仲間と声をあげる
大工 新妻操

 私は1938(昭和13)年生まれで終戦の年は小学校1年生でした。毎日、勉強どころか膝上まで水がたまった学校の防空壕に身を隠し、無言のままで先生のいわれるとおりに行動したものでした。
 家から学校までは3キロメートル程でした。上空にB29の音がきこえると道路脇の用水路にうつぶせ身を隠しました。大人は集会所に集まり、竹槍訓練に明けくれ、いっぽうでは軍馬として育てた馬を引き渡しました。農民の目には大粒の涙でした。
 日本の総理大臣はアメリカ支援のためなら国民を無視して戦争法案を掲げています。身勝手な総理を引きずりおろすのは日本国民ではないでしょうか。国会周辺は「戦争反対」「九条守れ」の声に包まれています。
 高齢になりましたが、身体をかばいながら、平和の2文字を掲げ、地域集会にも仲間と一緒に要求の旗と声をあげます。(世田谷)

▲ページの先頭へ


第2147号 2015年8月20日付

キノコ雲この目で 今も焼きついてはなれぬ
大工 山下満

 私は82歳、熊本県天草崎津の出身です。
 あの長崎に落とされた原子爆弾を見た男です。
 4キロほど山奥に軍馬の草かりに行った暑い日でした。先生と小学5、6年生の10人くらいでした。
 帰り11時ごろ、あまりの暑さに先生に断って水遊びをしました。
 しばらくすると、今までにないサイレンの音、B29の姿が見え、土手にのぼったところで、ピカードンでした。こわくて、一目散に帰りましたが、村にはひとっこひとりいません。みな、防空壕に逃げ込んでいました。
 あのキノコ雲は今も目に焼きついています。70年たった今もです。
 あんな悲惨な戦争は2度としてはいけません。40年前に子どもと4人で長崎の原爆資料館に行きましたが、「むごい」のひとことでした。
 これから生のある限り、戦争の悲惨さを伝えていきたいと思います。(足立)

疎開先でエサ食べ命つなぐ
塗装 諸星武司

 私は昭和11年生まれ、もの心がつき、戦争体験した最後の世代といえる。
 国民学校に入学すると、学童疎開が始まった。勤めの関係で父と姉二人は蒲田に残り、母と私たち兄弟3人は父の出生地秦野へ縁故疎開した。農村部とはいえ、疎開者には食糧事情はひどいもので、配給米は少なく、米の飯など無縁。ぞうすい、すいとん、さらには家畜のエサであるヌカを団子にして食べた。命をつなぐ、最小限の食生活だった。
 戦況はきびしさをまし、蒲田の家は昭和20年4月の空襲で灰じんと化した。
 あらから70年、憲法擁護義務の頂点にある安倍首相は集団的自衛権行使の閣議決定をした。これは立憲主義をふみにじる暴挙以外の何物でもない。9条の旗はボロボロだが、その旗ざおをより強くにぎりしめ、平和の世を生き続けなければならない。(多摩・稲城)

▲ページの先頭へ


第2144号 2015年7月20日付

「安倍ヤメロ」の声を 常軌いっした党首討論発言
塗装 諸星武司

 今国会での党首討論についてのマスコミ報道を見るにつけ、安倍首相が安保関連法案審議で使う「存立危機事態」は安倍政権にこそあてはまることだと思う。
 戦後70年の原点でもある「ポツダム宣言」を問われたが、「つまびらかに読んでいない」と安倍首相は答えていた。「戦後レジームからの脱却」をスローガンにする安倍首相にはしっていても、はぐらかしの答弁しかできないのだろう。
 また、「安保関連法案の説明が間違っている」と指摘されると、「われわれが提出する法律(案)の説明はまったく正しいと思いますよ。私は総理大臣なんですから」。
 常軌をいっした発言をしている。首相であることが、なぜ正しさを担保するのか。驚きあきれるのみ。
 未熟で傲慢(ごうまん)きわまりない、この劣悪な人物に日本の政治を託すことはできない。「9条壊すな」「安倍ヤメロ」と叫ばずにはいられない。(多摩・稲城)

住宅デー取材部員は大忙し
主婦 大山艶子

 葛飾支部では数年前から地域で実施される行事を考慮して、住宅デーを同日に開催するのをやめて、今年は3日間にわけて開催しました。(今年は5月31日、6月7日、6月14日で開催)
 教宣部員は分会ニュースにのせるのと、学習にもなると他分会にもカメラ片手に取材を敢行することを決めました。
 なかなか見学する機会もなく事前に伝えてあったせいか、どこの分会でも教宣部員を暖かく迎えてもらいました。取材そっちのけで、各会場のアイデア満載の出し物や模擬店に感心しきりです。
 3日間とも好天に恵まれ、日焼けを気にしながらも楽しい取材活動となりました。
 また、今回の取材をもとに「支部教宣学習会」も行ないます。楽しくて、クセになりそうです。(葛飾)

▲ページの先頭へ


第2141号 2015年6月20日付

気づいたら楽に「相手は自分ではない」
設計 平原勝利

 私の仕事は長い年月、現場監理でした。配管、ダクト、保温、塗装などさまざまな職人さんたちに自分が書き上げた施工図どおり、決められた工期内に施工してもらいます。自分では何一つできないのに図面を書いて人にやってもらうわけですから、簡単なようでなかなか大変でした。
 若いころの職人さんは腕もよかったが、プライドも高く、若造監督のいうことはおいそれとはきいてもらえなかったので毎日がストレスのかたまりでした。唯一の解消法は仲間と飲むことでした。でもグチをいいあううちに気づいたことがありました。ばかみたいなことですが、相手は自分ではないということです。それをつねに自分にいいきかせるようにしました。
 解消法にはならないでしょうが、ストレス発生の抑止力になりました。これが年齢とともに磨きがかかり、「ウ~ン、ちょっと違うけど、まっいいか」となり、家庭内もずいぶん楽になりました。(府中国立)

早起きと短い昼寝 まずは健康維持から
主婦・小林八洲美

 仲間におすすめするストレス解消法は早起きと短い昼寝です。真夏はガンガン冷した部屋。冬は陽だまりで洗濯物をたたんだ後、春秋は散歩してお茶の後に昼寝をします。
 前向きに気持を切り替えることが大切です。昔は井戸端会議や立ち話があったかもしれません。今は見たこともありません。人間関係がストレスになっています。でもストレスのない生活はできないし、また現役で仕事をしている時は必要不可欠です。人に興味を持たないと若さも失われてしまうのかと思います。
 生きる力にするストレス解消法はそれぞれの人生経験で違いがでてくるのではないかと思います。健康維持が解消法の一つでは…。快食、快眠、快何とか(笑)でしょう。(八王子)

ストレスは神に近づくチャンス
建具 金谷 修

 ストレスを楽しむようにしています。日常生活でよいできごとは続いて起きません。悪いことも続いては起きないと思います。よくないことが起きたら次はきっとよいことがやってくると信じています。そう考えると大きなストレスも小さなストレスに変っていきそうです。
 ストレスは人生のスパイス、ストレスがなければ気の抜けた人生です。うれしいこと、楽しいことは家族や周囲の人たちと一緒に喜び、つらいこと、悲しいことは現実をしっかり見つめ受け入れるようにします。
 よいストレスは神のごほうび、悪いストレスは人間としてもっと成長しなさいと神が与えてくれた試練だと思っています。試練は神に近づけるチャンスです。これからの人生、ストレスと上手につきあっていきたいですネ・・・。私がストレスの原因にならなければよいのですが?(江東)

▲ページの先頭へ


第2139号 2015年6月1日付

戦後の日本圧殺する安倍首相を退場に
塗装 諸星武司

 4月30日は「アリとゾウの戦い」といわれたベトナム戦争が終って、40年になると報じられていた。
 当時、私は旧国鉄労組の一員であった。米国のベトナム侵略戦争に反対する行動に、国労も積極的に参加した。私たちの分会も昼休み集会を開き呼応する。教宣部であった私は、集会決議文を記す。
 「無辜(むこ)のベトナム人民に銃口を向けるな・米国はベトナムから手を引け」と結んだ。今でもよみがえる反戦行動の一片である。
 以後、半世紀近くがすぎた。残念ながら世界では、戦火が絶えない。
 日本でも不完全ながらも築かれてきた国民主権・人権擁護・反戦平和の日本社会が、あろうことか、"戦後レジームからの脱却"などと、平和であった戦後70年を圧殺する独裁者のごとき、世襲政治屋、安倍首相の集団的自衛権容認の閣議決定で、日本は歴史的岐路にある。
 戦後70年、日本国憲法9条に支えられ、他国の人も自国の人も一人たりとも戦争で殺していない、この崇高な歴史的事実に誇りを持ち、安倍反動首相を政治の舞台から、退場させなければならない。(多摩・稲城)

お前達を鍛えるんだ 自衛官の発言に驚く
板金 青柳興一

 だんだんときな臭くなってきました、安倍首相はそんなに戦争がしたいのでしょうか、勝っても負けても悲惨です。
 山の好きな私は以前ある山岳会に入っていました。同じ会員に現役自衛隊員がいて、一緒に飲んだ時に私がききました。「戦争が起きたら大変だな。一番先に行くんだろう」。すると彼は「何をいっているんだ。一番先に行くのはお前たちだよ。俺たちはお前たちを鍛えるんだよ」。私はあ然としました。自衛隊ってこんな教育をしているのか、とびっくりしました。
 まるで徴兵制を前提として自衛隊があるのか、と、今こそ平和が一番だいじなときです、私も声を大きくして「9条を守れ」と叫びます。(杉並)

▲ページの先頭へ


第2138号 2015年5月20日付

ひどい安倍老人いじめ 保険料大幅アップ
造型 村口英雄

 まだまだ先のことと思っていたのに、この2月で75歳、後期高齢者の仲間入りし、市から「後期高齢者保険料決定通知書」なるのが届いた。8万7千円。高齢者になると安くなるんだなと思っていると、横から女房が「これ2カ月分だわ」。1年分じゃなかった。そのうえ3割自己負担、介護保険料は別途。土建国保との差にがっくりきて、「ひどいなあ、まだこんなにいじめられるのか、これから先、生きていくのが怖くなってきた」と悲嘆にくれていると、女房が「よく働いてそれなりの収入があるんだからしかたないわ」のなぐさめもむなしくきこえる。
 新しい保険証で杏林大学付属病院で診察を受ける。診療費5810円。薬剤料2万5700円。会計のお嬢さんに「高くなったな。高齢者をどこまでいじめるの。安倍が悪いよ、彼に飲ませる薬はここにはないの」というと、「あれぐらい悪くなると何を飲んでも治りません。杏林の先生に頼んで解剖でもして調べてもらいましょう」と帰ってきた絶妙の答えに、にえくり返ったハラワタも少しおさまった。
 土建国保10割給付のころは、健康そのもので病院にかかることもなかったが、それでも「土建国保はありがたいな」とつくづく思う。みんなの力で現行制度をぜひとも守ってほしいとつくづく思う。(三鷹武蔵野)

犠牲押しつけるな やめよ辺野古埋め立て
電気 高橋宏

 今、一番気がかりな政治問題は辺野古の埋め立てです。
 政府は普天間の危険性の除去のため唯一の解決策が辺野古移転だといいますが、普天間は住民から強奪した土地の上に立つ基地です。現状に戻したうえで即時無条件で返還されるべきものです。
 沖縄戦は沖縄にとっては本土から押しつけられた戦争でした。県民59万人のうち12万人が死亡、9・4万人が民間人でした。砲撃のすさまじさは「鉄の雨」にたとえられ、また火炎放射器で焼かれた人もいました。
 本土側は戦後も大変な犠牲を沖縄にしいてきましたが、今また新たな犠牲を沖縄のためと称しておしつけようとしています。
 辺野古の埋め立ては決してやってはいけないことだと思います。(品川)

アスベスト訴訟全面勝利を必ず
設備 丹野俊彦

 西多摩支部は毎月アスベスト訴訟勝利へ駅頭宣伝を行なっています。横浜地裁で敗訴したときは、悔しさのあまり泣きました。しかし東京地裁、泉南訴訟と勝利をかちとり、一人親方・零細事業主もふくめた救済、建材メーカーの謝罪という全面勝利の日は遠くないと確信しました。
 宣伝行動にも力が入り、小作駅では「国にかったのはあなたたちの運動が実ったからだよ、がんばってね」との励ましも受けました。仲間と力をあわせて運動を強めていきます。(西多摩)

▲ページの先頭へ


第2135号 2015年4月20日付

弁当作った先輩 釣りバカ日誌の脚本家
看板 今井 彰

 23歳のころのことです。神楽坂付近でアパート住まいでした。収入は少ない割に6畳の部屋代はかなりのウェイトで、当然自炊生活であり、昼食も弁当を作らなければ、月末には食事ぬきの時もありました。
 前日の残りものや朝食のおかずを多めに作り弁当としていました。そんな弁当を見かねてか、5歳先輩の高橋さんが2人分作ってくれないかな。週3回作ってくれたら、残り3回は先輩が外食代を出してくれるといいました。
 先輩の分はいい加減には作れない。自分なりにがんばったつもりで、豚肉の生姜焼き、オムレツ、手持ちがさびしくなるとサケ弁だったり、かなりみじめな弁当だったが「うまい」と食べてくれました。
 小岩駅に住んでいて、ときどき行きつけの可愛い看板娘のいる居酒屋につれていってくれました。
 大恩ある人なので、その後何とか住所を探し、別の先輩と訪ねると、山田洋次さんに学んで作家業をめざしているときき、その後の活躍を期待していたら、釣りバカ日誌の何本かに脚本家として名をつらねていました。
 高橋正圀さんという方です。若いころの心づかい、今思いだしても感謝感謝の気持でいっぱいです。(台東)

夫婦水入らずで旅行 共済会の東北支援に当選
主婦・柿沼愛子

 どけん共済会の15周年記念の東北支援キャンペーンに当選し、2月14日に岩手県花巻市大沢温泉に行きました。
 当選チケットはペアなので、数十年ぶりの夫婦水入らずの旅行となりました。
 東京から新花巻駅まで約3時間、いきなりの雪景色が目の前に飛び込んできました。駅から30分のバス移動は七変化する天気に主人は夢中でカメラのシャッターを押していました。
 宿泊先の山水閣では温泉、食べきれないほどのごちそう、窓越しの雪景色を十分に楽しみました。
 翌日は、宮沢賢治の生家、自然の中の賢治の学校、イギリス海岸、花巻農業高校に移築された自宅を見学し、とても楽しい一泊旅行となりました。(目黒)

土建国保に加入しよかった
大工 窪田一男

 私の家内のことですが、子どものときから、股関節脱臼で年をおうごとに痛みがひどく、歩くのも困難でした。
 子どもがインターネットで調べてくれて、世田谷によい医者がいるからすぐに行ったほうがいいというので、即、行ったところ、8カ月後の予約待ちでしたが、キャンセル待ちがあり、1カ月で入院できました。
 入院費用は120万円かかりましたが、全額土建国保で出ましたので、入っていてよかったと思い、夫婦ともども感謝して、元気に散歩しています。(府中国立)

▲ページの先頭へ


> 記事一覧へ戻る

電話:03-5332-3971 FAX:03-5332-3972
〒169-0074 新宿区北新宿1-8-16【地図