米軍「トモダチ作戦」影の部分
 
 東奥日報編集委員 斉藤光政
 東日本大震災から1年半近くがすぎようとしている。震災に際して、米軍と自衛隊は災害支援活動「トモダチ作戦」を展開したが、実はこの拠点となったのは、本州最北端の青森県にある三沢基地であった。そして何より注目すべきは、この一大オペレーションが過去最大規模の有事即応訓練という側面を持っていたという点だ。仮想敵は最大のライバルである中国。日米対中国という21世紀の対立構図が浮かびあがってくる

自衛隊・米軍一体に
 最前線基地三沢が拠点
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トモダチ作戦は日米共同作戦のシュミレーションの側面も
 P3C哨戒機が、一時派遣先の嘉手納基地(沖縄県)から青森県の海上自衛隊八戸航空基地に降り立ったのは震災翌日の2011年3月12日のことだった。
 海上自衛隊八戸航空基地は被災地にもっとも近く、それでいて無傷な滑走路を持っていたからだ。のちに「トモダチ作戦」と呼ばれることになる、米軍史上最大の災害支援活動のまさに第1陣が彼ら哨戒機部隊だったのである。
 米海軍のP3Cが震災直後に重点を置いたのは、上空からの状況偵察だった。輸送ヘリコプターが着陸できる場所はあるか、使える港はあるか、何より孤立した人びとはいないか。
 機長として、3月末まで6回の飛行をこなした同飛行隊のテイラー・バロー大尉はいう。「とにかく、最優先は救援物資を降ろす場所の確保でした。学校や広場などヘリコプターが着陸できる場所、それも被災者にできるだけ近い場所を、低空で目を皿のようにして探したのです。三沢市から仙台市まで東北の海岸線をなめるように何度も飛びました。心が痛むほどひどい光景を何度も目にしましたが、使命を果たすだけだ、と自分にいいきかせました」。
 実は、バロー大尉が作戦に参加した17日の時点で、早くも空の拠点は応急基地である海自八戸から、後方支援態勢が十分に整った三沢基地へと変っていたのである。
 三沢は八戸の北約30キロに位置する米空軍と航空自衛隊の共用基地。米軍のF16が40機、航空自衛隊のF2が40機、日米で合計80機もの戦闘攻撃機を擁する世界有数の「攻撃基地」であり、北朝鮮、中国をにらんだ「北の最前線」である。
 話をバロー大尉に戻そう。本来は、艦船や潜水艦を探すために使われるP3Cの新型画像システムや赤外線センサーが、役に立った。見つけ出した着陸地点には、八戸から岩手県三陸沖に陣取った空母「ロナルド・レーガン」や強襲揚陸艦「エセックス」から水や食料、毛布、医薬品などの生活必需品を満載したヘリコプターが急行した。

 基地地下深くコマンドセンター
 一方、三沢基地には国内外の米軍基地から輸送機が次つぎに乗り入れ、大量の物資を吐き出していった。効率的に再配分するため、米軍は滑走路わきに集積拠点として兵站センターを開設。米軍と自衛隊のトラックが現地との間を激しくピストン輸送した。
 震災から半月足らずの間に、兵站センターを通りすぎて行った物資は600トンにのぼった。「補給」と「有事」に強い米軍の面目躍如だった。それをコントロールしていたのが、基地の地下深くに造られたコマンドセンターだった。この時、三沢は一大ターミナルと化していたのである。

 主体は緊急展開部隊 指揮系統も日米統一
 結局、こうした三沢の空の前線拠点としての機能は、仙台空港が本格復旧する4月中旬まで1カ月続くことになる。
 ハワイのワイキキビーチから車で30分の丘の上にあるキャンプ・スミス。この米太平洋軍司令部からトモダチ作戦を指揮した司令官のロバート・ウィラード海軍大将(当時)は、誇らしげにいう。
 「トモダチ作戦は日米同盟の絆を世界にあらためてしらしめたという点で、非常に意味があります」。
  ウィラード司令官のいう日米同盟の絆。その強い結束点となっていたのが、三沢にほかならなかった。
 トモダチ作戦で三沢基地が前線の航空拠点となっていたちょうどその時、ハワイのヒッカム空軍基地からC17大型輸送機(第535空輸飛行隊)で駆けつけたブライアン・ホロック大尉の目に印象深く映ったのは、米軍と自衛隊のチームワークのよさだった。「非常に整然としていました。命令系統もすっきりしていて、互いのサポートがうまくいっているという感じでした。まるで、訓練をこなしているような冷静ささえありました」。

 最も大規模な共同作戦の性格
 最終的に、トモダチ作戦に米軍が動員した兵力は合計で1万6千人。運びこんだ物資の総量は飲料水8千トン、食料190トンにのぼる。
 膨大な物資を東北地方の海岸部の隅ずみまでに行き渡らせるためには、自衛隊との緊密な連携が不可欠だった。すなわち、トモダチ作戦は日米同盟史上、もっとも大規模な共同作戦の性格をあわせもっていたのである。
 それを可能にしたのが、ホロック大尉の指摘する日米の指揮系統の統一と調整だった。
 じつは、米太平洋軍司令部内には、朝鮮半島や台湾海峡での有事の際に結成される「統合任務部隊(JTF)」と呼ばれる緊急展開部隊が存在する。正式名称は「JTF519」。このJTF519こそが、トモダチ作戦の主体となっていたのだ。

日本は中国包囲網の要
 米軍がシュミレーション
 一方、日本側も東日本大震災に際して、陸・海・空の3自衛隊から10万人を動員。「災統合任務部隊」を臨時編成し、仙台市の陸自東北方面総監部の一元指揮下に置いた。
 日米のJTFが初めて行なった共同作戦。それこそが、トモダチ作戦の真の姿だったという点に注目したい。それは当然のごとく「日米によって大陸に押し込められていると感じている中国軍の関心を強く引いた」(軍事ジャーナリストの前田哲男さん)。
 防衛省幹部の1人はそんな中国側の反応を次のように披露する。「中国軍関係者が『12万人に上る日米合同部隊が短時間のうちに協調的に動き、しかも作戦を成功させたことにとても驚いている』と話していました」。
 トモダチ作戦を通して、日米の一体化はさらに一歩進んだといえる。それを象徴するできごとが、震災から早くも6日後の3月17日に見られた。場所は下北半島にあるむつ市の海自大湊基地。
 この日、米海軍のドック型揚陸艦「トーテュガ」から降り立ったのは、北海道苫小牧市から被災地に向かう陸自隊員ら約280人と車両約100台だった。米軍艦艇による部隊移動は自衛隊設立以来初めてのことだった。
 つまり、トモダチ作戦は名前を変えれば、そのまま有事の日米共同作戦に転用できることを証明したのである。その意味では、壮大なシュミレーションの側面を持っていたとさえいえる。震災は日米の有事即応態勢をみごとにあぶり出していたのである。

 沖縄県副知事の美化やめて発言
 米国の献身的ともいえる協力の裏には米政府、そして米国防総省の政治的思惑があったことはいうまでもない。それは中国をにらんだ日本の戦略的価値であり、在日米軍基地の存続である。
 冷戦時代に日本が果たした対ソ連の防波堤としての役割が今、中国包囲網のかなめに形を変えて求められているということだ。
 そうした観点から、米軍をとらえ直す必要性を訴えたのは、基地問題に苦しむ沖縄県の上原良幸副知事。2011年6月に那覇市で開かれた日本新聞協会の集まりでこう訴えた。
 「トモダチ作戦の美化だけはやめてほしい。米軍への感謝と基地問題は別ではないでしょうか」。それほどまでして米軍が日本を助けようとする真意を知ってほしい、という問いかけであり「日米一体化がかなり進み、異議すら唱えられない状況になっている」ことへの怒りだった。
 たしかに、トモダチ作戦は日米の一体化をさらに推し進めた。そして同盟の実効性を広く示すことで、中国はもちろん、ロシアなど仮想敵国への抑止力として機能したことは隠しようがない事実だ。

 中国の救援部隊は現場から遠い羽田
 中国地震局などによると、中国側は震災に際して救援部隊の派遣を提案した。しかし、日本側との調整で部隊は当初の100人規模から15人に減らされたうえ、着陸は三沢ではなく現場からはるかに遠い羽田空港に回されたという。
 なぜか。その疑問に対して、多くの軍事専門家は「いたって簡単」と口をそろえ、次のように説明する。
 「日米の共同作戦の現場を見せたくなかったからです。なぜなら、トモダチ作戦は人や物資を運ぶという意味では実戦にほかならず、日米が最大の仮想敵国である中国に、手の内を知られたくなかったのです」。まさにトモダチ作戦の影の部分ともいえた。その影は深く、太平洋進出を図る中国を阻止するため、急ピッチでアジア回帰に向かっている米国の戦略と深く結びついている。