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○ 列車乗客 60人が犠牲"

湯の花トンネルで機銃掃射

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毎年8月5日の慰霊の集い前に清掃が行なわれている

 太平洋戦争末期の1945年8月5日、中央本線の浅川駅(現・高尾駅)を午後0時15分に出発した新宿発長野行きの419列車が出発して間もなく、湯の花(いのはな)トンネルの手前にさしかかったところを米陸軍戦闘機P51ムスタングの数機編隊が南側から来襲し、列車に機銃掃射とロケット弾を打ちこみました。ロケット弾は列車からそれましたが、機銃掃射により60人以上の死者と100人を超える負傷者が出ました。鉄道空襲の被害の規模では関東地方で最大のものです。
 7月以降、P51は湯の花トンネルがある八王子だけで6日、8日、28日の3回、来襲していました。また八王子は8月2日には169機のB29が来襲し、市街地の86%が焼失していました。
 湯の花トンネルの空襲を行なったのは硫黄島から飛来したP51の編隊でした。3派に分かれたうちの1派が419列車を襲いました。硫黄島からの攻撃では相模湾か房総半島の上空から侵入しており、この方面の鉄道が集中的に空襲を受けています。
 8月5日も11時15分に空襲警報が発令されていました。419列車は警報発令中に八王子駅を発車、浅川駅に11時30分すぎに到着しています。浅川駅でも警報は解除されていなかったのですが、急いで出発すれば空襲をまぬがれ、小仏トンネルまで行けるだろうといった判断があったようです。しかし実際は間に合わず、手前の湯の花トンネルで空襲にあいます。

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近づくと銃痕も確認できる湯の花トンネル

 419列車は最初に先頭の電気機関車が攻撃されて、機関士がブレーキをかけたことと、架線が切れてしまったため列車はストップし、8両編成の客車のうち、トンネルに逃げ込めたのは2両目の途中までで、3両目以降は、停車中さらに数回の銃撃を受けました。死亡者は付近の民家に置かれ、49人の名簿がつくられたと記録されています。また負傷者は近隣の病院へ収容されましたが、輸送途中で亡くなった方もいました。
 戦時中は単線であった現場付近の中央本線は、現在、複線で戦後開通した下り線の南側に、地元の青年団が建てた供養塔(1950年)と、いのはなトンネル列車銃撃遭難者慰霊の会が建てた慰霊の碑(1992年)があります。毎年8月5日に慰霊のつどいが開かれ、70年目の今年は例年の2倍にあたる150人が参列しました。

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