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○ 憲法9条戦争放棄は押しつけか

東京大学名誉教授 堀尾輝久

 東京大学名誉教授の堀尾輝久さんは改憲派の「押しつけ憲法」論を許さない確かな資料を発見し、昨年公表しました。憲法の成立過程で何があったのか、憲法を守るためにやるべきことは何か。12月7日、荒川区9条の会連絡会での堀尾さんの講演「いま憲法について考える」をご紹介します。(文責・編集部)

幣原喜重郎の不戦の思い
憲法成立過程調査で明らかに

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幣原喜重郎

 日本の再軍備にあたって憲法9条と平和教育が邪魔だとしたのが1953年の池田ロバートソン会談です。その流れの中で1955年に自主憲法をつくることを党是とする自民党が結党されます。
 60年安保を前にして憲法改正をすすめる動きが異常に強まります。1956年、国会で憲法調査会が議員立法で成立する。憲法調査会は憲法の成立過程を精査して押しつけであったことをはっきりさせようというのが狙いでした。この議員立法を提出した代表は岸信介でした。翌年、彼は首相になり、憲法調査会は実際に動き出します。
 調査会の構成は議員と専門家で、議員は自民党10人、社会党10人でしたが、改憲のための調査会など作るべきではないという強い批判があり、第1回の審議会に社会党は欠席します。
 憲法調査会の代表にだれがなるかということですが、改憲のための調査会はいやだという思いがあり、我妻栄さんも宮沢俊義さんも拒否し、高柳賢三さんが会長を引き受けます。高柳さんは憲法の成立過程を精査したいという研究者としての思いもあって資料をていねいに集めます。その調査の集約点としてアメリカへ行って、マッカーサーとホイットニーに直接会い、当時のようすを聞きたいというのが高柳さんの思いでした。

マッカーサーの回答が決め手

Image そして1958年暮れにアメリカに行き、マッカーサーに会見を申し入れます。マッカーサーは改憲のための委員会に公式に参加して発言するのはいやだと拒否します。高柳さんは、戦中、アメリカで法律の勉強をしてきた英米法の専門家だと自己紹介をしながら、ここに来たのは憲法の成立過程の真理を知りたいためだと質問状を出します。その質問に対してマッカーサーはホイットニーと相談してていねいに答えています。それがマッカーサー高柳往復書簡として残っています。これが国会図書館の憲政資料室にあり、それを私が今年(2016年)の正月に探して、『世界』の5月号に発表しました。
 そもそもなぜ幣原喜重郎が言い出したか、いつ言い出したかというと、1946年の1月24日にマッカーサーと幣原が二人だけの会談をしたときに、幣原が今度の日本の憲法には戦争はしない、武器を持たないそういうアイデアをいれたいと発言したということです。9条のアイデアがいつ誰から出されたかという問いに対して1月24日の会談のときに幣原が言い出したことだということです。

国連憲章の精神超え
大義に世界がついてくる

 9条のもとになるようなものは鈴木安蔵らの憲法研究会などにもありません。幣原が言い出したのです。幣原は自分の思いをマッカーサーの力を借りて、実現したいと思ったということでもあります。
 幣原は1946年3月に今度の日本の憲法は戦争放棄、武器を持たないという条文をもっている、これは世界の笑いものになるという人がいるかもしれないが、核兵器が生まれたこれからの戦争のことを考えると武器など持ってもしようがない、そんなものはいらないことがやがて皆さんにわかってもらえるだろう、この大義にやがて世界はついてくるだろうという演説を行ないました。その一週間後、マッカーサーは対日理事会第1回会合で日本は戦争放棄、武器をもたない、しかしこれは国連憲章の精神を超えるものでこれを実現するためには国際的な新しいモラルが形成されなければならない。戦争放棄はすべての国が一気にやるか、あるいはゼロかどちらかだと演説しています。
 マッカーサーは、戦争はもうやめなければという思いを強く持っていました。マッカーサーは1951年の米国上院で戦後日本改革について聞かれており、あの憲法は幣原が言い出したと証言しています。さらに高柳たちの憲法調査会の質問に文書で「あれ(9条)は幣原首相の先見の明とステイツマンシップ(政治家の心構え)と英知の記念塔として朽ちることはないであろう」と回答しています。

学習の広がり作る
新しい市民参加の集会

 昨年の新しい形の市民参加の集会は何だったのか、私も何回か参加し、シールズの若者たちとも話しました。思いは共通だが、もう一つ違った角度から考えたり感じたりしている人がいる。そういう仕方で自分の感覚をより広くつないでいく、それが学習運動です。学習は分かったことの確認ではなく、新しい発見を含みます。憲法問題はまさに学習の大きな課題ですし、憲法を守るというのは市民の学習運動なしには守れない。
 実は昨年の集会で憲法学者も学びました。東大の憲法学者の樋口陽一さんは国会の集会などに参加し、「この運動は専門知と市民知の結合である」と言いました。市民は生活を通して、あるいはそれぞれの仕事を通して、感じたり考えたりしている豊かなものがある、それと専門家の知識が結びついて、実はより質の高い認識になっていくということです。
 政府は安保法制を現実に動かすために、南スーダンへの自衛隊に駆けつけ警護の任務を新しく与えました。安保法制からすれば当然やるべきこととして南スーダン問題が起きています。
 それに対して、安保法制は違憲であるという訴訟が起きていることを皆さんは知っておいてほしい。全国的に原告が7000人くらいになっていますが、各地で訴訟が起きています。私も原告の一人として9月に法廷で陳述しました。そういう運動を支えるということも憲法を守る活動の中で非常に大事です。
 さらに実は憲法は日本の国だけで守れるものではないと、そもそも憲法9条そのものがそう書いている。その精神を国際的に生かすために、不断の努力をするのだということを憲法前文は書いています。そのことなしには実は憲法は生きないという問題がもともとあり、そういう意味では憲法9条は決して一国平和主義ではないということです。

一国平和主義とらない
国際社会で生かす憲法精神

 安倍さんはしきりに一国平和主義というふうに言いますが、日本だけ平和であればいいなんて論理は憲法の中にはないのです。憲法の精神を世界に広げるという、そのための使命を持っているという書き方を前文はしています。残念ながらその動きがなかなか広がらないわけで、私たちはいまそういう動きもやらなければいけないと、9条を持つ地球憲章をつくろうという運動を始めようと思っています。
 そういう動きは今始まったわけではなく、実は憲法学者も憲法50年のときに大きな研究会を作って、憲法の精神を世界に広げるそのための提言もしています。世界社会フォーラムでも9条の意義を訴えるという活動をやっていますし、ハーグの1999年の世界市民平和会議でも日本国憲法の精神は世界の各国でその政治に生かされるようにというアジェンダが採択されました。
 そういう先輩たちの動きをつなぎながら、そして9条世界会議などもつなぎながら、世界に広げるという運動をしていかなければならないのではないか。
 憲法の成立過程で精神をきちんと学ぶということと、今の局面で、憲法訴訟さえ起きているそういう状況でそれを支えるという活動もあり、さらに自分たちの思いを世界に広げるという活動にもつないでいくということが今求められています。
 憲法を守るというのはそういう広がりの中でやらなくてはならないと思っています。

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