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○ どうしても捨てられないモノ

子孫描いた芸術作品
秘密の切なくほろ苦い手紙も

 【墨田・タイル・浅見英夫通信員】何だこれ。ヘビがのたうっているような線や訳のわからない曲線。クレヨンで描かれている画用紙が机の奥の方でビニールの袋の中に何枚も入っていたのを失念していた。下に「昭和55年2月27日1歳誕生日に」と記入されている。長女の記念すべき芸術?作品だ。
 その後も芸術作品の収集は続き、二女の第1作も昭和57年7月13日に収集され多数が収蔵されていた。更新中でもあり、孫の収集も開始されている。今は3人が進行中で、もうしばらくすると一人の収蔵が始まる。
 いつも市井の片隅でのありきたりの話ではあるが。かなりの物量になると、この後の処分はと考えざるを得ない。もう自分の終活をと思っている今日この頃。
 デジカメ等の写真は削除は容易ではあるが、写真等の処分も頭が痛い。秘密の切なくほろ苦い手紙も含めてやっかいなことになっている。誰か処分して。

倉庫のダンボール
教え子の学級日記が中に

 【小平東村山・大工・黒田順通信員】扉を開ける。片隅のダンボールにどうしてもチラと目がいく。10年以上前のノートの束だ。退職の時に、準備室で詰め込んだ学級日記や物理のノートの山である。
 12年前まで私は高校の教員だったので、電動丸鋸、角ノミ盤などの奥にこんな物があるのだ。大工道具の出し入れで週に数度倉庫に入るが、このダンボールの蓋を開けることは滅多にない。
 数年前に捨てる物を選別すべく目を通し始めたが、あっという間日没、ノーサイド。日々の授業やクラスのことも書きつづっていた生徒さんたちの姿や言葉、表情がよみがえってきて「生徒を捨てる気にならなきゃ、この束は捨てられないな」と諦めた。焼却処分にするのは、たぶん私の方が先だろうと思いつつ。

色あせたセーター
彼女の思い出がつまる

 【豊島・大工・原沢修通信員】僕にとって、どうしても捨てられない物はセーターです。
 今から35年前、私が付き合っていた彼女からいただいた物で毎日のように身に着けていました。僕にとって彼女は天使のような人でした。その彼女と付き合って8年位したころ、2人に別れが訪れました。それはケンカをして別れたわけではなく、彼女の実家が東北の田舎でお兄さんが家を継いでいたのですが、交通事故で突然亡くなり、彼女が家を継ぐために実家に帰ってしまったからです。
 その後、一度も会わないまま2年前に彼女が亡くなり、今まで僕のタンスの奥に思い出のセーターが色あせて入っています。
 たまに手にして捨てようと思うと彼女のことを思い出して捨てられないこの頃です。

次次妻に捨てられて
猛練したタイプライター

 【江戸川・床内装・遠藤喜世志通信員】大学浪人時代に手に入れたコーヒーサイホン。夜な夜な眠気覚ましに、コーヒーを楽しんだ。結婚してもしばらくは持っていたけれど、妻に「邪魔だから、捨てるわよ」と軽く処分されてしまった。そう言えば、柔道着もラグビージャージもラクダの毛のベッドパットも、みんな妻に捨てられてしまった。
 でも絶対に死守している物もある。オリベッティのポータブルタイプライター、レッテラDLだ。今もうインクリボンも乾いてしまって、印字はできない。読者も驚くと思うが、私は英文タイプ2級を持っている。レッテラDLで猛練習をして、やっと合格。
 でも合格した時に、ワードプロセッサが世に出始めた。それきり、私自身もタイプライターの箱も開けなくなった。

笑顔の義母の写真
一番の楽しみ食べること

 【目黒・大工・高尾麻美通信員】陽光差し込むリビングの出窓に置かれた写真立てには笑顔の義母。その義母は一昨年に亡くなりました。義父が亡くなってからずっと一人暮らしをしてきた義母はいろいろなことに興味を持っていました。結婚してから続けてきたコーラスや山登り、地域老人クラブの活動や旅行、そして一番の楽しみは「食べること」でした。何の変わりない至って普通の趣味ですが、義母にとっては生きることだったのです。
 笑顔で生きること。これらの思い出はたくさんの写真に残されています。最後は病に倒れてしまいましたが、療養中に温泉に向う車中で、おいしそうにみかんを頬張る義母の姿、私たち家族はずっと忘れないでしょう。義母が生きた笑顔の写真たち、どうしても捨てられない大切なモノです。

頑固でかわいい夫
私の組合活動にも理解

 【練馬・主婦・菊池純子通信員】私の捨てられない「人」は夫でしょうか。
 結婚して46年いろいろありましたが、子どもどころか孫にも恵まれて最高に幸せです。
 職人さんはそうだと思いますが、頑固でわがままなのにかわいいところもあり、いままで来ました。71歳になって今も元気で仕事に行ってくれて感謝しています。職人は退職金もありませんが、定年もありません。体が丈夫ならずっと仕事ができます。
 今では空気のような存在で、お互いに助け合ってこれからも人生を全うしたいと思います。
 夫は東京土建の活動にも理解を示してくれ、気持ちよく送り出してくれます。主婦の会の会長、執行委員、教宣部長と19年させていただいていますが、夫の理解があるからと思います。
 とても捨てることはできません。これからもよろしくお願いします。

夢育ませてくれた本
海外も車も高嶺の花の頃

 【八王子・主婦・湯浅宣子通信員】50数年前出版された『ロンドン―東京5万キロ』の本をご存知の方はあまりいないことでしょう。
 その頃、最新型のトヨタ車でヨーロッパ、中近東、アジアの国々を走り遺跡、観光名所、多種多様な人々の暮らしを写真で収めた本です。海外旅行も車も一般庶民には高嶺の花でしたが、その本で夢を育ませ、歴史や文化を学びました。
 今から20年前のことです。忘れられないその本の話を友だちにしたところ、ご主人がすぐネットで探してくださり、私の手元に届いたのです。独身の頃、会社の図書室で出会ってから以来のことで感極まり抱きしめました。
 貧しくてもみんな笑顔いっぱいで生きていた時代があの頃はあったのです。今でも本を開くと青春がよみがえり、胸が熱くなります。絶対手離せない大切な私の宝物として本箱に収まっています。

仏壇の横に腕時計
飲むと自慢していた亡父

 【足立・設計・大塚洋二通信員】大工だった親父が亡くなって10数年が経った。仏壇の横には外国製の腕時計が置いてある。バブル時代に親父が新しい腕時計を買ったため、私にくれた時計である。
 私は腕時計もしないし、興味もないため、一度もつけたことはない。親父の形見でもなく、大事な宝物といったわけではないが、仏壇に線香をあげる時に時計に目がいってしまう。
 自宅で酒を飲みながら、自慢げに時計の説明を何度もしていた親父だった。
 以前に子どもらに時計の話をしたことがあったが、興味もないようなのでしばらくは仏壇の横に置いたままになるだろう。

愛車スーパーカブ
石巻へボランティアも

 【杉並・書記・山上薫平通信員】私のどうしても捨てられないものは、愛車スーパーカブ110である。2008年に購入し、総走行距離は4万7000㎞を超えた。
 初めての遠出は東日本大震災が起きた年の夏。自分にも何かできることはないかと、当時石巻にあったボランティアセンターを目指し走った。残念ながらボランティアセンターはお盆で休業中だった。
 帰り道、福島の桃園で原発事故の影響で売れなくなった桃を買い、温泉宿に寄った。宿主に話を聞くと、原発事故のせいで予約はすべてキャンセルになってしまったとのこと。桃を宿主と一緒に食べた。甘くてとても美味しかった。
 8年の間に3回事故にあったが、愛車は動かなくなることなく、走り続けている。その耐久性が世界でも愛されている要因だろう。スーパーカブは10階から落としても壊れない。てんぷらを揚げた廃油でも動くらしい。恐らく本当だろう。

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