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○ どうしても捨てられないモノ

映画主人公の腕時計
デパートで発見したものの

 【練馬・配管・松尾浩道通信員】「子どもらしい夢はないのか」。小学生の頃、親にそう言われたのを覚えています。周りの子たちは天体望遠鏡とか憧れのモノがありました。「何かほしいモノは」と聞かれても、ミニカーくらいしかありませんでした。ある日、映画の主人公が使っていた腕時計に衝撃を受け、「あれがほしい」と思うようになりました。元々興味がなかったので、メーカーも値段もどこで買えるのかもわかりませんでした。
 中学生の頃、デパートで発見し値段にショック。月千円の小遣いで30年以上かかるからです。でも努力して高校1年の時に手に入れました。
 一昨年、修理に出したら結構な修理代がかかると買い替えを勧められました。今はケータイもあるし時計が必要というわけではありませんが、どうしても捨てられないモノはやはり宝なのです。

返せなかった電鍵
酒や社会教えてくれた友

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電鍵はモールス符号を打つ機械

 【板橋・シャッター・内田恒夫通信員】「使わないないなら、さっさと捨てなさいよ」。近頃、妻からよく言われる。
 確かに、人生も半分以上過ぎてしまい、私が先に死ねば妻が処分をしなければならない。夫婦共に、両親の死の際、遺品整理の大変さは経験している。私も言いたくなる事もあるのでその気持ちはよく分かる。だがどうしても捨てられないものがあるのも事実である。使うことはこれから先、まずないと思うが、捨てられない。
 何かと言えば、電鍵、キーとも言われる。モールス符号を打つ機械です。元々の持ち主は高校時代からの親友。残念ながら、彼は58歳で急逝してしまい、返すことも出来なくなってしまっている。
 電鍵に触れて動かすことで16歳以降の彼との思い出が蘇る。社会への関心を持たせてくれたり、酒の楽しさを教えてくれたのも彼だった。彼が生きていればと思うことも何度もあったが、今は電鍵があるだけである。

300枚近い写真
分会新聞で利用して

 【杉並・事務・齋藤知子通信員】捨てられない写真、その写真というのは、分会新聞に使った残りの写真で何年分もたまっている。
 もう終わった行事のことなので利用しないと思って、整理を始めるのだが、やはり写真を見ると思い出し、また元のケースに納まってしまう。これからもこの300枚近い写真を撮った時を思いながら、分会新聞の中で生きる写真を撮り続けて、仲間に喜んでもらえるものを新聞に載せていけたらと思う。
 とにかくスナップ写真を撮るのが好きなので、これからもがんばって続けていくつもりだ。
 また、写真を撮り続けていく上で、もう一つ捨てられないカメラ。このカメラは分会新聞を作っていく上で、私の命である。

土門拳の写真集
子供たちの姿に力もらう

 【江東・ハウスクリーニング・油屋正孝通信員】40年前、御茶ノ水の古本屋街を歩いていた。ふと土門拳の写真集が目に入った。あまりに高価だったので、写真集は購入できなかった。
 都内の書店をのぞくと、ペラペラの雑誌のような土門拳の写真集『筑豊のこどもたち』。ページをめくると、そこには自分たちとかけ離れた生活を送っている子どもたちが写し出されている。三井・三池の炭鉱の子どもたちの姿が…。60年安保前後の物だろう。
 私は父の影響もあって、労働運動等に関心を持っていた。その時代の労働者の暮らしぶりにすごく関心があり迷わず購入した。いろいろなことで悩み苦しい時、この写真集を見ると力をもらえる。私はまだまだ幸せなんだな。子どもたちが必死に生き抜こうとする姿、貧しくても屈託のない笑顔。貧富の差は時代によって違う形態をとっているが、子どもが一番の犠牲者なんだと思わされる。
 この写真集は捨てるに捨てられない1冊。機会があれば、ぜひ一度目を通してほしい。

手動式の糊付機
内装の自営はじめ購入

 【足立・内装・神田春之通信員】勤めていた会社が倒産した。次の会社の紹介もあったが、「技術を身につけよう」とカーペット、塩ビタイル、塩ビシート防水等の床工事を中心とした会社に入り、7年が経ち結婚した。翌年、子どもができ、ギリギリの生活にピリオドをうち、一人親方として独立。借金まみれで家を買い、カーテン、敷物等を置いて、小さな店を開き、すると「クロス」の仕事も入り、職人を雇うことになった。
 そこで手引き糊付機を購入。職人は、最初は気分よく働いてくれたが、だんだんわがままも出てくるようになり、気分次第で来なくなった。女房も引っ張り出して忙しく、16歳年上の兄が退職して一緒にやるようになり、その兄がその機械を使って、クロスの糊付け、カットをしてくれた。その兄が体調を崩すと、時代の流れで全自動糊付機を購入して今は3代目。
 結局、兄は69歳でこの世を去り20年が来る。兄がなだめて使っていた手動式が倉庫の片隅でもう使えないが、静かに20年を待っている。

Nコロに箱スカ
ランクル60は現在28歳

 【多摩・稲城・設計・岩武憲生通信員】私が捨てられないモノは、「あ~ほッ!」と言われるかもしれませんが、男のロマン、車です。「Nコロ」「箱スカG」と「ランクル60」です。Nと箱スカは、ボロボロになるまで乗り、田舎の納屋と畑の側に、捨てられず30年ほど前に放置しました。
 何年か前に田舎に帰りびっくりでした。Nは色の違った地面だけ、箱スカの放置した場所は草が背高く伸びていました。草に分け入っても何にもありません。盗まれました。何か残せる方法はなかったのかと悔やまれます。
 ランクル60は現在28歳です。最近はほとんど見かけなくなくなりました。見かけたとしても、若い人が乗っていて100ナンバーです。ワンオーナーではありません。
 そのランクル60にも悲劇がありました。東京に雹が降り、家にいて、嫌な予感。駐車場に行き車の窓を見回り、バックドア窓に3㎝ほどの穴に唖然。これからも大事に乗っていくことになります。

タンスに眠った洋服
亡き夫が買ってくれた

 【豊島・塗装・大嶋清子通信員】私にとってどうしても捨てられないモノは、20年も前の洋服です。デザイン、肩パット、襟の形、ボタンの位置なども今とは変わり、また丈の長さもどことなく違う感じがします。
 今では買えませんが、その頃はちょっと高くても買ってしまい、そのためタンスの中に眠ったままです。いつか着る時が来ると思い、大事にとってあります。私にとっては、今は亡き主人が買ってくれたものばかりですので、処分にいきつけません。
 私自身も洋服が大好きなので、月に2、3度デパートでウインドウショッピングを娘と楽しんでいます。これからは工夫してもっと大事に残していきたいと思います。

子どもの絵や賞状
家を出て10年たっても

 【三鷹武蔵野・塗装・升川明通信員】私だけではないが、家の荷物でほこりをかぶってねむっている物はどこの家にもあると思います。
 その中に子どもが幼い頃描いた絵、遊んでいた玩具、小学生になり学校でもらった賞状、また子どもが使っていた教科書からノートなどが押し入れや本箱の中に残っています。子どもが社会人になり家を出て10年になりますが、捨てずに残っているのはどうしてなのか。
 子どもには自分で整理して持っていけと言いますが、捨てていいよと言われます。何度か分別しゴミとして捨てていますが、どうしても捨てきれずにいる物もあります。子どもの思い出の品物でもあり、また子どもが幼かった頃の家族、私の思い出が詰まった物なのかもしれませんが、ゴミみたいな品々が家の中に捨てられずに残っています。

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