千束
日比谷線三ノ輪駅下車徒歩15分
新吉原という傾城街  ― 人肌への郷愁の奇しき因縁 ―

【台東・電工・渡邉榮一記】
 台東支部のある町は、台東区千束。かつては新吉原と呼ばれ、町の生い立ちとしては古くない。記録によれば、千束村の田んぼの中に新吉原という傾城街ができたのが、江戸期の明暦3年(1657年)だから、今から348年ほど前にすぎない。
 歓楽街の大きさは三町四方というから300メートル余四方である。その田んぼを1メートル程かさあげして町屋を造成した。したがってそこに堀ができた。やがてそれは、町屋の下水道になった。更にはその堀によって、この世界を世間から隔離することにもなった。その堀を「鉄漿溝」と書き、「お歯黒ドブ」といった。
 この堀に囲まれた傾城街への入口は、当時の浅草橋御門を北にきて浅草馬道へ入り、日本堤の下に立つ「見返り柳」の目印を曲がり、お歯黒ドブを越えて大きく立ちはだかる吉原大門である。
 この見返り柳から大門までのエモン坂という門前に「引手茶屋」あるいは「中宿(なかやど)」という遊客を妓楼へ案内する役目の茶屋が並んでいたという。
 ご存知のように昭和33年3月31日に廃止された公娼制度のあとに、やがて必要悪として産み落とされた吉原ソープランドの町で、いまその遊客にソープランドの情報を提供する「情報喫茶」がある。これこそまさにかつての「引手茶屋」に他ならない。また、客を乗用車で送り迎えしているのは、さしずめ往時の「ちょき舟」に当たるのがおかしい。
 そして、わが台東支部の前の道こそ「お歯黒ドブ」の跡であり、ドブの石垣がわずかではあるが、幾多の哀しみを秘めて寡黙に残っている。そして、その上に「情報喫茶」があることはアダムとイブ以来、人間の性のさだめの哀しさであり、人肌への郷愁の奇しき因縁といっていい。