四谷若葉町
地下鉄丸の内線四谷三丁目駅下車
坂が語る町の歴史  ― 往時をしのばせる別名 ―

【新宿・建具・坂本彬記】
 私の住んでいる町は、新宿四谷の若葉町です。昔、この町は「谷町」といっていました。どこへ行くにも坂道を登らなければいくことができません。町には五つの坂があります。
 一つ目は円通寺坂、新宿通りから四谷2丁目と3丁目の境を南に円通寺前を下る坂。二つ目は東福院坂(天王坂)、坂の途中にある阿祥山東福院にちなんでこう呼ばれています。別名の天王坂は明治以前の須賀神社が牛頭天王社と称していたため、このあたりを天王横丁と呼ばれていたことによります。
 東福院(天王)坂を下り、突き当りの階段を上がると、そこに須賀神社(わが町の氏神様)があり、春の大祭には本社の神輿が氏子18ヵ町をねり歩きます。また、11月の酉の市では、境内いっぱいに縁起の熊手や夜店が出てにぎわいます。
 三つ目は観音坂、西念寺と真成院の間を南に下る坂。西念寺と潮踏観音にちなむもので、別名は西念寺坂ともいいます。潮干坂と呼ばれた江戸時代以前に四谷周辺が「潮踏の里」と呼ばれたことにちなみます。潮の干満につれ台石が湿ったり乾いたりするので汐干観音ともいわれていました。
 四つ目は戒行寺坂、須賀戒行寺の南脇を東に下る坂で、坂の名前はこの戒行寺にちなむもので、別名を油揚坂とも言われています。これは昔、坂の途中に豆腐屋があり、うまい油揚を作っていたからこう呼ばれたという。
 最後は鉄砲坂、江戸時代このあたりに鉄砲組江戸屋敷があり、鉄砲の訓練場や鍛治屋などがあったため、こう呼ばれるようになったという。また、それ以前には、この地に鈴降稲荷という社があったことから鈴降稲荷坂とも呼ばれていました。
 私はこの町に住んで39年になりますが、こんないわれのある坂が五つもあったことに気づき、あらためてわが町を再発見しました。