1月のニュース
 

2005年1月1日・10日
機関紙「けんせつ」第1772号より

Index

05年僕らの挑戦 この子らに「平和」を贈る
 不戦誓った「憲法9条」
 輝く朝に ―ある少年志願兵の手記から―
危ない「自民党改憲草案大綱」「9条の会」が新春学習会
国民的要求実現に前進を ―中央執行委員長 藤枝辰博―
東京土建一般労働組合第58回定期大会告示
米国追従外交から脱却を ―前レバノン大使 天木直人―
12万人回復と土建国保の優位性確立
 「攻めの方針」で団結 本部書記長 告坂真二
 「07年決戦」に備え 新綱領・事業計画を準備
 60周年に最大の峰目指す 
  幹部の若返りをはかり全世代・全丁場の結集を
 改憲・増税とたたかう 労働者犠牲の産業再編
ドイツ建設産業事情視察の紙面報告 建設労働の未来を描く
アンケート 子育て・くらし・平和を願う
子どもたちの未来を奪うアメリカのイラク占領 ―高遠菜穂子―




05年、我らの挑戦
この子らに「平和」を贈る

不戦誓った「憲法9条」

  戦後生まれの私たちも、日本が平和のうちに国土を再建し、世界に類を見ない繁栄を築いた勤勉な国民の一人ひとりとして、誰からも評価されるわけではありませんが、いましずかに還暦を迎えました。父や母や兄弟・姉妹が体験したあの忌まわしい戦中・戦後の苦難を、私たちは経験せずに今日まできました。  それは、平和憲法に守られた60年であったといえるでしょう。日本では320万人、アジアでは2000万人が、日本が起こした侵略戦争の犠牲となり、その痛恨の反省が、不戦を誓う憲法9条に具現化されたものでした。  国民主権と恒久の平和・基本的人権を柱とした日本国憲法が生まれて58年、その理想は今日ますます輝いています。  ところが今、平和憲法をないがしろにする既成事実を次々と積み重ね、まじめ顔で、「憲法を変える」などと言い出すやからがいます。  戦後もわずか60年で、もうあの時を忘れたとでもいうのでしょうか。人として平和のうちに生き抜くためにも、いま一度憲法の値打ちを見直しこの国の明日と、私たちと私たちにつながる人々の未来のために、一緒に学びあう2005年としようではありませんか。

輝く朝に - ある少年志願兵の手記から -
 私の生まれた昭和6年に満州事変がはじまり、小学校に上がる昭和12年には日中戦争が始まった。私は5人兄弟の5番目で一人の姉と3人の兄がいた。私の大好きなすぐ上の2人の兄が、フィリピン近海で昭和19年春と夏に相次いで戦死した。そうではあったが、私も昭和20年8月13日、14歳で海軍少年兵として志願し合格した。  
 子供が2人も戦死していたが、父も母も反対はしなかった。いや、戦争に反対という考え、或いは、思想が、まったくなかったといったほうが正確だろう。しかし、広島・長崎に原爆が落ち、東京が焼け野原になって、私の軍籍は3日でおわった。
 敗戦は、勤労動員先の郵便配達の途中、農家の縁先で「玉音」放送で知った。子供には、何を言っているのかさっぱりわからなかったが、電球を黒布で覆い、ゲートルを巻いて靴を履いたまま縁側に足を出して寝ることも、空襲もない日々に戻った。  はじけるような気分で輝く朝を迎えた。だが、2人の兄は戻らなかった。

1月10日(月)
危ない「自民党改憲草案大綱」 「九条の会」が新春学習会
▲年新成人にイラク派兵反対を
呼びかけるお母さんたち(’04年1月12日)
 「九条の会」では、1月10日、午後1時(開場)から日本教育会館で、先に発表された「自民党改憲草案大綱」(たたき台)を徹底検討する学習会を開きます。  たたき台の中心は、「自衛軍」創設、国際貢献の名のもとで「集団的自衛権」(海外での武力行使ができる)の行使、国民には、新たに「国防の責務」(「義務」とうたわないところがミソ)を課し、首相は「国家緊急事態」を布告し、戒厳令をしく権限をもって、国民の「基本的な権利・自由の制限」することができる、などとなっています。  黙っていたら、いつか来た道¢蝠マなことになります。 参加費700円(資料代) 問い合わせは「九条の会」事務局 TEL 03(3221)5075

国民的要求実現に前進を
中央執行委員長 藤枝辰博
 組合員・家族・そして書記局の皆さん、昨年1年間の組合運動の奮闘、大変にご苦労さまでした。益々厳しくなる経済情勢の中、諸要求実現をめざした拡大運動において、一枚岩の団結の力で大きく前進をすることができました。心から感謝を申し上げます。
 特に年間を通して組織拡大の目標達成に挑み、本部は見事3年連続で増勢をかちとり、33支部が目標を達成し、1月現勢を34支部が超えることができました。
 この結果は全国の仲間を励ましました。その要因には色々あると思いますが、なんと言っても昼・夜を分かたぬ強い決意と、目標に対する執念をもって、各支部・分会の役員を先頭にした組合員の奮闘と努力抜きでは語ることはできません。
 また、今日の日本の政治は富める者はより豊かに、弱いものはより厳しくなる2極化現象が際立ち、その格差は大きくなるばかりです。東京土建は公契約条例の制定に向けた運動をはじめ、仕事確保の運動や不払い問題解決等、大きく前進する事ができました。
 昨年は、10月23日に発生した新潟中越地震をはじめ、全国各地で集中豪雨や台風などが相次ぎ、これにより被災された皆さんには、心からお見舞い申し上げます。
 私たちの仲間は、新潟・十日町の高齢者の住宅修繕の復興支援ボランティア活動に参加してまいりました。現地の方々から大変に感謝されました。こうしたことも組織拡大運動の飛躍的な前進で、強化された組織力の結果と思います。
 念願の12万人組織回復を確信に今年は更なる前進をめざしましょう。平和憲法を守り、消費税増税を許さない国民的要求実現に向け、全力で奮闘する決意を申し上げ、年頭の挨拶といたします。

東京土建一般労働組合第五八回定期大会告示

 東京土建一般労働組合第五八回定期大会を組合規約第一五条の規定にもとづき、次のとおり招集します。

中央執行委員長 藤枝辰博

日 時  2005年3月13日(日)、14日(月)
会 場  熱海後楽園ホテル他
代議員  代議員選挙告示のとおり
代議員選挙告示  
 東京土建一般労働組合規約第一五条および、東京土建一般労働組合大会代議員選挙規定にもとづき、第五八回定期大会代議員選挙について、次のとおり告示します。
 第五八回定期大会代議員選挙
    本部選挙管理委員長  菅野 弘
〈 代議員定数 〉
 2004年12月末組合員数を基準に、各支部ごとに260人に1人(端数は130人以上は1人を追加し、130人未満は切り捨てます)と基礎代議員一人とします。
※詳細は支部にお問い合わせください。

2005 世界の中の日本
米国追従外交から脱却を
前レバノン大使 天木直人
 皆様あけましておめでとうございます。
 昨年の国際情勢は「テロとの戦い」に明け暮れた1年でした。そしてこの「テロとの戦い」は、今年になってもいろいろな形で日本や世界の重要な課題になっていくことでしょう。なぜ世界はこんなに危険になってしまったのでしょう。なぜ日本はテロの危険にさらされるようになったのか。どうすれば世界は平和を取り戻せるのか。日本の果たす役割はなにか。新年の初めに世界の平和と日本の役割について考えてみるのも大切な事ではないかと思います。

バグダッド周辺警戒中の米兵(志葉玲氏撮影)
テロが米国の「唯一の敵」
 「テロとの戦い」が叫ばれたきっかけは2001年9月11日に米国で起った同時多発テロでした。共産主義との戦いに勝利しソ連という強敵がなくなった米国は圧倒的な軍事大国になりました。その米国があのような形で、しかも米国の中心地であるニューヨークとワシントンで、攻撃を受けたのです。米国のショックと怒りは大変なものでした。その時以来、米国はテロこそがこれからの米国の唯一、最大の敵だと宣言し、テロやテロを匿う国を地球上から一掃しようと考えたのです。それがアフガン攻撃でありイラク攻撃でした。

抵抗運動なのか「テロ」なのか
 しかしそもそもテロとは何でしょう。この言葉にはまだ一致した定義はありません。一般的にいえば、様々な形で抑圧、差別された組織やグループが権力者に対して暴力で抵抗することです。ですからテロの原因も標的も千差万別です。多くの場合テロをおこなう組織やグループは貧困や差別に苦しめられたいわば国家権力の犠牲者の場合が多い。ですからテロの側からすれば、自分たちのやっていることは国家権力による不当な弾圧から自らを解放する最後の抵抗だ、むしろ自分たちをここまで苦しめる絶対的暴力こそ国家的テロであると主張するのです。
 そして米国の言うテロとは、米国の中東政策(パレスチナ政策)に反対する、アラブの反米、反イスラエルの武装抵抗です。米国の言う「テロとの戦い」が正しいかどうか、それは中東紛争の本質を正しく理解しなければわかりません。中東紛争は、一言で言えば世界の流浪の民であったユダヤ教のイスラエル人がイスラム教のアラブの地に1948年に国を作った時から始まります。その時から、先住民であるアラブ人(パレスチナ人)との紛争が始まったのです。この紛争はどちらが悪いというよりも、2つの国が譲歩しあって平和的に共存しなくてはならない問題なのです。

サマワで「復興支援」にあたる自衛隊
アラブが米国に抵抗する理由
 ところが今日では米国の支援を受けて軍事的に圧倒的に強くなったイスラエルがパレスチナ人を弾圧、虐殺するところまで来ています。パレスチナ人はもはや自爆するしか抵抗できない状況に追い詰められているのです。この絶望的抵抗を米国やイスラエルは「テロ」と呼んで更に弾圧しているのです。米国に移民してきたユダヤ人は政治、金融、メディア、司法などあらゆる分野で米国の中で影響力を持ち、今や米国の大統領もユダヤ人が決めるまでになりました。ですから米国はイスラエルとパレスチナの紛争についても一方的にイスラエル寄りの政策をとるのです。これがパレスチナ人やアラブ人が米国に抵抗する理由です。

9.11同時多発テロ3周年に合わせておこなわれたワールドピースナウのデモ行進
レバノン大使として首相に諫言
 私はレバノンというイスラエルの隣国に日本の大使として2003年の8月まで勤務していました。どう考えてもイスラエルと米国のやっていることはパレスチナ人の弾圧政策です。このまま軍事力で押さえつけようとしても平和は来ません。アラブの抵抗をテロと呼んで「テロとの戦い」を続けることがそもそも間違いなのです。
 当時レバノンでは、米国がイラクを攻撃することは、国際法に違反するだけでなく、イラクや中東を混乱させる間違いだと皆が言っていました。私もそう確信していました。「日本は米国の戦争に協力してはいけない」と私は小泉首相に諫言(かんげん)しました。しかし受け入れられず大使を解任される事になりました。

主体性を持ち平和憲法いかして国際社会を築こう
 あれから1年半が過ぎてイラクの情勢は悪化の一途をたどっています。なぜ日本政府は米国のイラク攻撃を支持し自衛隊を派遣してまで協力していったのか。それは何があっても米国に逆らえないという主体性のない外交の結果でした。日米同盟を維持することが何よりも重要であるという間違った思い込みがあるからでした。
 今、米国は世界から反感を持って見られています。それは軍事力ですべてを解決しようとする傲慢な一国主義を推し進めているからです。それによって世界は分裂し、不安定、不透明なものになっていくおそれがあります。そんな米国に黙ってついていくことが本当に正しい事なのでしょうか。軍事をすべてに優先する今のブッシュ政権を支持することが平和国家を目指した戦後の日本のあるべき姿でしょうか。
 私たちは今こそ日本の将来を真剣に考えなくてはなりません。米国は「テロとの戦い」に備えて安全保障政策を大きく変えようとしています。そして日本に対してその一端を担うように求めてきています。もし「米国の要求に応じる事は仕方がない」と諦めて従うならば、日本は軍隊を持つ国になって米国の敵に向かって世界中で戦争に巻き込まれることになります。尊敬と親愛の情で歓迎されていたアラブの国から敵視されるようになったのも米国の戦争に協力するようになったからです。憲法9条も改正しなくてはならないようになります。日本にある米軍基地も強化される事になります。それよりもなによりもイラクに派遣された自衛隊の安全がますます危うくなり犠牲者が出たり、日本の自衛隊がイラク人に銃を放つような事にならないとも限りません。
 そんなことに日本がなってしまってよいはずはありません。世界は平和を強く求めています。唯一の被爆国である日本は平和憲法を世界に誇りに思い、今こそ世界の平和の為に指導力を発揮していくべきだと私は思うのです。

プロフィール
天木直人(あまぎ なおと)
1947年、山口県下関市生まれ。1969年外務省に入省。マレーシア、オーストラリア、カナダなどの大使館で公使を歴任。2001年から03年まで駐レバノン日本国特命全権大使。イラク戦争に反対する公電を送り、小泉首相の対米追従外交を批判して「勇退」を迫られる。著書に『さらば外務省』、『アメリカの不正義』、『マンデラの南ア』がある。

12万人回復と土建国保の優位性確立
「攻めの方針」で団結
本部書記長 告坂真二
 4年ぶりに12万人組織を回復した東京土建。仲間の仕事とくらしを守り、建設国保の育成強化の課題。政治的には憲法改悪、消費税の大増税等に反対する「07年決戦」をにらみながら、仲間の要求をどのように実現していくか。こうした課題で告坂真二書記長から報告をいただきました。

 組合員、家族の皆さん。新年あけましておめでとうございます。昨年は、組織の拡大強化をはじめ、大衆行動や署名、はがき要請など、組合の諸運動へのご協力、ご支援まことに有難うございました。
 東京土建は「小泉構造改革」とデフレ長期化のもと、建設労働者と中小建設業者の利益を守り、要求実現に全力をあげてたたかってきました。
 東京土建は、仲間の団結で「守り」から「攻め」に転じる「攻めの方針」で、厳しい情勢を跳ね返し、春・秋・年間の組織拡大で大きく前進し、3000人近い実増で『12万回復3ヵ年計画』(05年11万8500人、06年12万人)をほぼ1年近く前倒して約12万人に到達し、「V字型回復」を本格的軌道にのせることができました。
 土建国保は、昨年4月から家族入院医療費全額償還(払い戻し)、保険料引き下げ、本人7割給付(払い戻し制度は現行制度堅持)を柱とする新制度に移行しました。新制度は、組合員や未加入者に好評を得ることができ、1年間の国保加入者が2年連続1万人を超え、脱退者も12年ぶりに1万人以下に抑えることができ、土建国保再生に大きく踏み出しました。
 仲間の仕事とくらしを守る活動では、昨年の通常国会で、最重要法案である年金改悪、有事関連法案などが、国民の強い反対を押し切って成立するなか、新破産法に組合の要求「手間請労働者の権利拡大」を反映させる貴重な成果を上げました。「地域建設業再生」や大手資本とのたたかい、公契約条例実現をめざす運動も、本格的に開始しました。
 土建国保に対する国と都の補助制度の見直し(大改悪)の動きが一段と強まり、東京都は05年度から補助金削減の実施を強く迫りました。しかし組合は、国の補助制度見直しの前哨戦である国保の所得調査を成功させ、「数は力」で大衆行動(集会)やハガキ要請、国会議員、都議会議員要請を強力に展開、国の補助金は3年連続満額確保、都の補助金は現行水準を確保することができました。
 また昨年は、新潟中越地震による震災や台風23号をはじめ台風、豪雨などの自然災害が集中し、全国各地で被害が相次ぎました。組合は、各地での被災者のみなさんに、あらためて心からお見舞い申し上げるとともに「新潟県中越地震支援対策本部」をいち早く立ち上げ、現地調査と5次にわたる「復興支援ボランティア」の派遣、1300万円を超える救援カンパ(義援金)活動など、物心両面の支援活動をおこないました。

07年決戦」に備え
新綱領・事業計画を準備
 2007年(1月15日)は組合結成60周年の節目の年にあたります。東京土建は、第58回大会を3月に開催し、当面2007年を焦点にした政治の動きや経済の動向に反撃するたたかいを、『2007年決戦』と位置づけ、そのたたかいの方向、「21世紀初頭(00年代)後半の中期計画と方針」を策定します。同時に、組合結成60周年に向け、新しい組合綱領や事業計画などを決定します。

60周年に最大の峰めざす
幹部の若返りをはかり、全世代・全丁場の結集を
 東京土建は2007年決戦にむけ、憲法改悪、社会保障一元化と消費税増税阻止、医療保険の再編・統合から土建国保守る課題など、国民的な要求と独自要求を結合して、本・支部・地域で憲法の学習討論運動、世論喚起と多彩・多様なネットワークの構築、国民の多数派獲得めざし全力をあげます。
 また東京土建の組織構成や役員構成で、40代、50代の若手役員や野丁場(大手現場)従事者の比率を高めるため、後継者対策部を新設し、「全世代・全丁場結集」を追求します。野丁場や働き盛り世代や子育て世代での影響力(組織率)を高め、産業民主化運動を地域再生と結びつけ、建設産業と地域の運動の新たな展開で、両面での前進をはかります。
 さらに、組織の活動では、史上最高の峰めざす「中期計画」のグレードアップ、「組織改革」のスピードアップ、「組合業務(生活保障制度)」のバージョンアップの「3アップ戦略」で、組合員、建設労働者に魅力ある組合づくり、組合員サービスの向上めざします。
 とりわけ、組織拡大で組合結成60周年(07年1月15日)を最高の峰実現(12万4000人)に向かって、今年中に確実に12万2000人到達、全支部目標達成、全支部増勢をやりきるために、幹部(本・支部役員)が行動の先頭にたって奮闘する決意です。
 組合員、家族のみなさん。本年も引き続きのご協力、ご支援よろしくお願い致します。

改憲・増税とたたかう
労働者犠牲の産業再編

 2005年は、日本の針路や東京土建の「21世紀初頭(2000年代)の中期展望」にとって重要な年になります。
 小泉内閣は国政選挙のない今後2年余の間に、憲法「改正」準備と社会保障・医療保険一元化(大改悪)、定率減税の廃止と消費税増税法案を成立させ、2007年に憲法「改正」国民投票と消費税増税の実施(施行)をもくろんでいます。政治的には、自民、民主の2大政党の競い合いと一部マスメディアの世論誘導のもとで改憲と増税への動きに拍車がかかるのは必至です。
 日本経済は、「景気回復宣言」にもかかわらず、国民の実感とかけ離れ、「回復」実感がないまま景況感悪化(内閣府景気動向10月、日銀短観12月)、景気後退(減速)が指摘される局面を迎えています。デフレは依然として続き、大手と中小、大都市と地方、業種間、国民所得の『2極化』がさらに広がっています。
 建設産業の分野では、大手ゼネコンはデフレと公共工事縮減のもとでも、都市再生事業の独占、海外事業の展開、リストラやコスト削減などで空前の利益を上げています。また、国・建設資本一体となった建設産業再編・淘汰(とうた)、競争政策促進の嵐が吹き荒れるなか大手は、中小業者と建設労働者に犠牲を転嫁して、自分らだけが生き伸びようとする、戦略(一大攻勢)を一層強めてきています。
 住宅市場は、大手ハウスメーカーやパワービルダー(大手地場住宅会社)が2007年問題(団塊の世代の定年退職)〈3年間で約700万人〉(団塊ジュニアの結婚)や1200万戸(新耐震基準以下住宅)耐震化政策などのリフォーム、ニュービジネスなど成長分野の地域市場独占めぐって、私たち地域建設業と激しくしのぎをけずってきています。

ドイツ建設産業事情視察の紙面報告 建設労働の未来を描く
権利・生活保障の運動が基礎
清水謙一書記次長
 9月24日から10月1日まで、建設政策研究所主催の「ドイツにおける建設産業事情視察団」の一員として参加した清水謙一書記次長の報告です。

カッセル市役所で環境重視の都市計画を担当者から説明を受ける
「産業自治」が確立
未加入者にも「協約」適用

 組合員の皆さんを始め日本の建設労働者、とくに現場技能労働者は、そのほとんどが労働協約を知りません。だから突然「雇いどめ」(=解雇)されたり、労災事故が元請の労災を適用されないまま処理されたりするなど、無数の不利益をこうむっています。組合と建設企業とが「約束」を結び、賃金・労働条件などはその約束事に添って決められるのが「労働協約」です。
 ドイツで建設産業の実情を視察してきた大きな理由のひとつがドイツにおける「労働協約」の実態でした。
 まずドイツでの実情を理解する上では「産業自治」とも言うべき労使の信頼関係があることを見なければなりません。ドイツにはたとえば「最低賃金法」のように、政府や地方自治体が労使関係に関与し、法律によって決めることはありません。
 「最低賃金」は、労使の労働協約によって決められていて、それが「一般的拘束力宣言」によって労働組合に加入していない労働者にも適用されるシステムが機能し、法律と同じように働いているからです。
 一般的拘束力宣言とは、その地域の同業同職種の労働者の過半数を雇用する事業者(企業)が労働協約に参加しているとき、その適用をその地域の同業の事業所、労働者に適用される仕組みです。労働協約に参加する企業が、参加していない企業から不利益をこうむらないようにしているのです。しかし賃金協約については、州ごとの格差があるので、一般的拘束力宣言はされていません。

ビュルツブルグ市内を望む
6等級の賃金ランク
充実している各種手当て

 ドイツの建設産業の労働協約は、労働組合はドイツ建設・農業・環境労働組合のひとつですが、使用者側には、大手中心のドイツ建設産業協会と中小零細企業中心のドイツ建設業中央協会の3者間で結ばれます。「賃金」協定は毎年、労働条件などの協約は数年ごとに改定されます。
 実際の労働協約はどんなことが決められているのでしょうか。旧西ドイツ地域の協約では、まず賃金は、技能と経験に応じて、労働者は6つのランクに分けられます。週39時間労働の月給では、最低等級で1751ユーロ(約23万6000円)、中間等級2292ユーロ(約30万9000円)、最高等級2870ユーロ(約38万7000円)です。
 おやっと思うほど額が小さいかもしれませんが、これに育児手当などが給付され、学費などはほとんど無料です。賃金額だけでは判断できません。さらに、残業手当は25%増し、夜間労働は20%増し、日曜労働は75%増し、休暇手当ては30%、特別年間手当てとして協約賃金の93時間分が支給されます。
 1年の有給休暇は現在30日です。職業訓練生の賃金も、現業分野で554〜1222ユーロ(約7万4000円〜16万4000円)と決められています。
 もうひとつ、ドイツの場合「建設業社会金庫」が労働協約によって設立されています。この金庫は、悪天候・冬季などの就労の不安定さや、現場移動による有給制度の実施が保証されていないなどの、建設産業労働者の他産業と比べての不利益を、補填することを目的としています。
 ドイツでは冬の時期、屋外作業がほとんどできないために、かつてはクリスマス前に建設労働者は「解雇」され、冬が終わるとまた「雇用」されるという慣習があったようです。
 それでは建設業につく労働者がいなくなるので、業界全体の負担で労働者の生活を保障する、という制度が広がったという事情があります。

ベルリン市の建設労働者の推移
赤線は(keise:危機ライン)
「建設社会金庫」の役割
協定は競争条件の均一化

 現在の社会金庫の給付事業としては、(1)付加年金、(2)休暇請求権の保障、(3)職業訓練、(4)冬季の賃金補償、があります。予算規模は2003年で52億ユーロ(約7000億円)にも及びます。
 そしてこの資金には公的補助はなく、労働協約に参加する事業所が、年間の支払い賃金総額の22・5%を拠出しています。
 私はドイツ建設業中央協会を訪れた時、率直に「22・5%は負担が重過ぎないか」と聞いてみました。担当者は首を傾げて、どうしてそんな質問をするのか、という顔をして、「大筋は競争条件の均一化として理解している。産業別労働協約は、長い歴史的背景や積み重ねがあり、労働組合は社会的パートナーだと認識している。業界の競争は激しいが、そもそも労働協約自体に反対する事業者は業界団体に加入してこない現状がある」と答えてくれました。
 こうした使用者側団体の意識こそ、歴史的に作られてきたドイツの運動の長い蓄積を感じさせるものです。
 日本ですぐドイツの制度を持ち込んでどうするということはできません。私たちは私たちなりの未来を描かなければなりません。
 しかし、その基礎にすえられなければならないことは、建設労働者の権利・生活保障であることは、 変わりがないと思います。
 まさに日本における建設労働組合の役割がいっそう大きくなっていると思います。

労働協約などで実りある視察に
【建設政策研究所・村松加代子記】
 ドイツ建設事情の視察に参加して、労働者・労働組合の状況や労働協約にみられる労使関係のあり方など、実りあるものとなりました。
 しかし、そのドイツも、東西ドイツ統一、EU統合、グローバリゼーションなどによって環境が大きくかわり、建設労働者・労働組合を取り巻く状況は必ずしもよくはありません。が、そういう状況だからこそ、労働者にとっても、また、業者(団体)や広く社会にとっても、労働組合は必要不可欠なものだという印象を改めてもちました。
 日本の建設労働者の正当な権利・義務の確立と労働協約(労使間の集団的自治)の形成を目指して、私共も今回の成果を活かしていきます。

アンケート
子育て・くらし・平和を願う
 「けんせつ」では20歳代から40歳代まで、子育て中の組合員を対象に「子育て・くらし・平和を考える」アンケートをおこないました。アンケートは家族構成から平和の問題まで12項目となっており、さらに意見・近況についても書いてもらいました(一部掲載)。その結果、353人の方から回答をよせていただきました。

子どもたちがすこやかに育ち成長できる社会でありたい
30人学級をすぐに
「憲法9条守れ」が49%

 アンケートは353人の回答で、Q1の年齢は30歳代が287人・81・3%と多く、Q2の子どもの数は一人が117人、2人が171人、3人が57人、4人かそれ以上は8人でした。



 Q4の「子どもと一緒の時間が取れる」と答えた方は307人と圧倒的ですが、44人が取れないと答え、その理由は「仕事が忙しい」が38人となっています。


 Q7の「授業参観に行ったことがありますか」の質問では、有るが144人で40・8%、無いが136人の38・5%と拮抗しています。
 Q8の30人学級については、「すぐに実現してほしい」が183人で51・8%、「今のままでもよい」94人の26・6%と比べて2倍ちかくとなっています。


 Q9の「日の丸・君が代」については「強制すべきではない」と「強制してもかまわない」が100人と同数。どちらともいえないが153人でした。


 Q10の教育基本法については「改悪に反対」が33・7%、「変えたほうがいい」が13・9%。「よくわからない」が52・1%もありました。
 Q11の「年金制度の改悪について」と「消費税の引き上げ」は、納得できないがともに80%を超えています。
 Q12平和の問題でイラクでの自衛隊の撤退については「ただちに撤退すべきだ」132人、37・4%、「撤退すべきではない」71人、20・1%、「どちらともいえない」150人、42・5%で年代別でも同じ傾向が出ています。
 最後に、憲法改正については「憲法9条は変えるべきではない」173人、49・0%、「憲法9条は変えるべき」51人、14・4%、「どちらともいえない」121人、34・3%となっています。


 ご回答くださいました皆さんに感謝申し上げます。

子どもたちの未来を奪うアメリカのイラク占領
高遠菜穂子
 昨年4月にイラクで拘束された高遠菜穂子さん。2004年流行語大賞ベストテンにも入ってしまった「自己責任」という言葉と共にバッシングにさらされましたが、現在はイラクの隣国、ヨルダンでイラクの子供たちの就労支援と学校建設のプロジェクトにとりくんでいます。高遠さんに、報道に取り上げられない「イラクの現実」を寄稿してもらいました。

03年ファルージャ総合病院に薬を届ける。右から2人目が筆者
 10月にイラクの友人たちとプロジェクトのミーティングを開くためヨルダンを訪れた際、たまたま知り合ったイラク人にCDを数枚手渡された。彼は私に「その映像をどう使うかはすべて君次第だ」と言った。
 彼は私との会話で、4月にファルージャで拘束されていた私が今もイラク支援を続けていると知り、ファルージャの惨状を国際世論に訴えるチャンスだと思ったのだろう。

「04・9・24」イラクのビデオ
 そのビデオ映像には2004年9月24日と日付が入っていた。今から3ヶ月余り前のことだ。映像には荷物を抱えたファルージャの住民がトラックの荷台に乗って郊外に避難している様子が映っている。乗用車のトランクにも子供たちがすし詰めだ。プロジェクトメンバーの解説によれば、この時点でファルージャの人口30万人のうち10万人近くがもうすでに郊外に避難しているという。
 これは11月のファルージャ総攻撃以前のことだ。つまり、住民は9月の時点で多くの人が郊外に避難をせざるを得ないほど空爆が激しかったということを意味する。
 住宅が、モスクが、車が、学校が、無数の弾痕で水玉模様になっている。走行中の車は「武装勢力」とみなされ空爆される。したたる血。玄関先に広がる血痕と棺桶。ここでもまた命が吹き飛んでいるのだが、報道に拾われることもカウントされることもない。イラクでの死者は10万人を数え、その3分の1がファルージャだというデータがアメリカの大学教授から出されたのは最近だが、私はその見解に素直に納得する。

見えない壁の向こう側
 この1年半の米軍による空爆のほとんどが報道の壁にさえぎられて隠されていたのだ。見えない壁はイラク国内にいる同胞のイラク人の目も耳もふさいだ。ファルージャの住民はバグダッド陥落直後から、丸腰の住民が米軍に射殺されていた。その遺族が武器を手にしたのが「抵抗」の始まりだったことを私は当時から見聞きしていた。

ファルージャ総合病院。デモ中に米兵に撃たれた若者
1ヶ月に6度の家宅捜索で家中は滅茶苦茶に
 映像は続く。木っ端みじんに砕け散った住宅の前で、家主はうろうろと歩きまわり、カメラに向かって「私の家に武装勢力などいなかった!」と怒鳴る。有名なファルージャのケバブレストランが映ったが、この映像を見る直前に空爆されたと報道があった。「武装勢力がレストランで密会合している」というのが米軍側の理由だった。モスクの尖塔に大きな砲弾の穴が開き、カメラが徐々に引いていくと瓦礫の山と化した礼拝所が映し出された。
 家宅捜索直後のある民家では玄関のドアノブが壊され、ドアには大きな砲弾の痕が残り、その家の女性がそこを指し示しながら説明を続けている。部屋にあるすべての家具がひっくり返され、寝室はタンスの中身をぶちまけられ床やベッドの上に物が散乱している。
 プロジェクトメンバーがそれを見ながら「7月は一番ひどかった。俺の家は1ヶ月に6回こういう状態になったよ」と言った。画面の中で家主が壁を指差す。2本の直線が壁に太く書かれている。それは家宅捜索に入った米兵が部屋の中でウンコをし、引き裂いたコーラン(イスラム教の教典)で尻を拭き、それを壁になすり付けたものだった。これが「武装勢力を掃討する」という名目で毎日のように行われている捜索の一端だ。

阿鼻叫喚のファルージャ総合病院
 切迫した雰囲気の人々でごった返すファルージャ総合病院では、診察台の上で血みどろの人たちが痛みに喘いでいた。叫び声がパソコンのスピーカーから音を割って飛び散る。ドクターたちの手が血で真っ赤になり、ガーゼと包帯が役立たずに思えるほど患者の頭部は流血していた。私にとって一番つきあいの深かったこの病院は当時よりはるかに悪い状況になっていた。昨年8月、そして10月にも日本のNGOと協力してこの病院に緊急支援物資を送ったが、リクエストのほとんどはコットン、ガーゼ、包帯、抗生物質、火傷の薬だった。

正視に耐えない子どもの亡骸
 「米軍誤爆か、41人死亡 結婚会場、米側は否定 イラク西部」というニュースが2004年5月20日、日本でも新聞テレビ各局から流された。流血の大惨事となったシリア国境に近いカイム郊外の村を空爆した米軍は、「外国人武装勢力の隠れ家を攻撃し殺害した」と述べた。4日後の5月24日には住民から結婚式をしていた証拠となる映像が出されたが、米軍は反論し誤爆とは認めなかった。
 私が渡された映像はこの惨劇の直後のものだった。トラックの荷台に毛布にくるまれた遺体が重なっていた。大勢の男たちが遺体を下ろし、身元確認をすすめている。砂漠というより土漠の固い地面に墓穴を掘っている。映像からは伝わってはこないが、この時期のイラクは気温が限りなく50度に近い。私は、幼い頃飼っていた猫の死臭を鼻腔によみがえらせ、エイズホスピスで看取った人たちの亡骸の重さを手に思い出していた。
 次々と遺体が映し出される。頭部が半分割れて脳みそが出ている人、顔がつぶれている人、完全に頭が吹っ飛んでしまった女の子の体は両手が宙に浮いた状態でマネキンのように固くなっていた。嫌というほど子供たちの遺体が連続で出てくる。男たちがうずくまって泣く。クーフィーヤで拭っているのは汗ではなく涙だ。スピーカーから泣き声だけがもれてくる。一人の男性が父親と思しき男性の遺体に泣きすがり、周囲の者が彼をなだめる。目を背けたくなる。

あきらめずイラクの現実伝えたい
 しかし、これは現実で、この遺体を一番見たくないのは遺族だ。気分が悪くなるのは現場にいる彼らだ。「もう見なくてもいいよ」というプロジェクトメンバーもみな泣いていた。私は最後まで見ようと決めた。そして、決めた。空爆される側の情報を、イラク人が自身の手で撮った「イラク」を日本のみなさんに見てもらおう。情報量をフェアにしてからそれぞれに冷静に判断してもらえばいいのだ。偏った情報を少しでも是正したいと思った。
 9月の末、サマアの掃討作戦を取材に行ったプロジェクトのメンバー2人がビデオを構えた瞬間に米軍に狙撃されて殺された。この映像を私に託してきたイラク人もまさに命がけの取材だったに違いない。事実を記録しようとする者は撃たれ、せっかく取材に成功しても国際世論に訴える術を遮断される。彼らの死に報いるためにも、私に託すしかなかった彼のためにも、私はもう一方から発せられるイラクの現実を伝えることをあきらめないと誓った。

プロフィール
高遠菜穂子(たかとう・なおこ)1970年北海道生まれ。麗澤大学外国語学部卒業。2000年、30歳を機に仕事をやめ、以降、インド、タイ、カンボジアの孤児院などで手伝う。イラク戦争直後、入国。学校再建、医薬品運搬などにとりくむが、04年ファルージャで抵抗組織に拘束される。現在は子供自立支援、ファルージャ再建などのプロジェクトをNGO、イラク人と進める。