野球三昧の中学時代
田んぼで夕方まで球追う

金子幸由
 群馬県北部の山の中、老神温泉の隣り村で山と川にはさまれた場所、群馬県利根郡利根村が私の故郷です。
 私の中学生時代は、暇さえあれば、田んぼで野球をするのが常でした。学校が終わって家に戻り、みんなが集まるのが午後3時半頃、秋、稲穂の刈り入れ後の、何もない広い田んぼに、近所の子供達を集め、2組に分かれて試合をします。
 集まる人数は毎日違い、1組が7人や11人であったり、年齢もまちまちでした。
 遊びにも工夫があり、うまい子が多いチームが勝つと、次回は戦力が平等になるように組分けのやり直しです。
 田んぼの稲の株がそのまま残っているから、ゴロで球が転がる時は大変です。
 株やでこぼこのくぼみにぶつかって球のころがる方向が定まらないので、守備も球の行く先が読めません。1イニングで10点くらい入ることは珍しくなく、足をすべらせて泥んこになり、あぜ道から落ちて、水路で水びたしになったりすることも度々でした。
 夕方になり親が「御飯だよ」と呼びに来るまで熱中し、それでもゲームは止められず、暗くてボールが見えなくなるまで続き、家に帰ると親にこっぴどく怒られ、説教をくらうと言うふうでした。
 それでもまた翌日みんな集まり、野球開始です。毎日毎日このような遊びは続き、友だちの数が野球の人数に足りない時は缶けりなどの違う遊びに変更です。
 今は子供の数が減り、遊びの環境も違ってしまい、村に帰っても、あまり外で遊ぶ子どもを見かけません。
 何もなかったけどたくさんの仲間、その仲間の勢いが単純な遊びにも盛り上がりを生み、遊びを通して学んだ相手を思いやる協調性、田舎の田園風景が私の生き方の土台を創ったと思っています。

(杉並)