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几帳面な素晴らしい伴侶
しかし、終戦でその生活も一転。幸い、人にやさしく接した父の日頃の行動から私達は何事もなく、昭和20年、引揚者として福岡港に着き、家族は、しばらく父の実家に身を寄せ、まもなく上京して武蔵境に落ち着きました。 その後、東京生まれの妻と結婚、生鮮食料品の卸業をやっていましたが、結婚後長女の誕生を機に奨める人があり給排水業に就きました。当時、万博開催などで日本経済は高成長となり、私の仕事も順調で、子ども2人も育ち就職し順風満帆でした。 ところが1990年2月に妻が体の不調を訴え、胆のうガンが発覚しました。告知され、その事実を明かすことが出来なかった私は、看病を続けながら仕事先の屋上で涙することもありました。 妻が、自宅で最後を迎えたいという希望から、娘は職場に事情を話し半年の休暇を取り昼間の介護、ホテル勤務だった長男は退職して夜の介護をして、家族が力を合わせ看病しました。 自宅療養中に私の誕生日に届いた花を喜び、妻は紅を差し、せっかくの花だからと家族と写真におさまった1枚は貴重な遺品となりました。 治って欲しいという家族の願いも空しく、妻は1991年3月に永眠しました。 昨年13回忌をすませました。思い出が薄れていくどころか、几帳面な素晴らしい伴侶だったと思う気持が益々募り、いつも私の右側に位置していた妻の場所を空けて座る習慣が今でも抜けません。 妻の亡き後、仕事を辞めた長男は仲間の工務店に再就職することになり、母親の最後がきっかけで親子2代で建設業に携わることになりました。喜んでいることと思いま す。 (杉並)
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