親の笑顔は世界一
戦時中10人を育てた母

大工・新妻操
 私の両親は子宝に恵まれて、なんと10人の子を産み育ててくれました。昭和2年生まれの長男誕生から、日本中が“生めよ増やせよ”の時代の中で、私は13年生まれで6人目の誕生です。
 小学校1年の年、戦争に負け終戦という子供時代を迎えました。小作農で食べるものもろくになく両親の苦労は言葉では話せないほどであったに違いありません。そんな時代、今でも私の頭から離れないのは両親の笑顔で、世界一だと思います。
 そして親が教えてくれた、忘れられない言葉があります。それは「友だちを大切にすることは自分も大切にしてもらえること」「人間正しくあれば、他の人が認めてくれる」という言葉です。子供ながらに父と母の話に『本当だよね』と感心しました。また「どんな場合でも人様に譲れる人になりなさい」と母は静かに言っていました。
 そんな大変な時代の中で私は、母が家族と食事をしたのを一度も見たことがありません。親がいつ、何を食べていたのかも知らなかった自分が情けない気持ちです。10人の子供を育てた両親は、苦労の連続だったと思いますが、本当にそのことを表にあらわさない人でした。
 当時は大勢の子供を育てて一刻も早く戦場に送り出す、“戦争の武器づくり”といっても過言ではなかったのではないかと思っています。
 私は3人の子と2人の孫がいますが、孫の笑顔を見るたびに、苦労して兄弟を育ててくれた両親の気持ちと笑顔を忘れることができません。今は亡き父と母に産んでくれてありがとうと、感謝の気持ちでいっぱいです。
(世田谷)