不用の借金数億円
大銀行は政府が助ける

内装 今井一雄
 父親の亡くなった年齢を越えた。特に早死だったわけではなく、当時としては普通だった。忘れられないことは数々あるが、どうしてもイヤなことばかり思い出される。
 結婚相手がすぐに病気になり、離婚。当時流行の「クレーマークレーマー」ではないが、二人の子と病気になった母親を抱えての暮らしは大変であった。それでも当時、世間の人は今ほどギスギスしていなくて、まわりの人たちも気づかってくれた。社会保障も今よりずっと良かったので助けられた。中でも子どもの友だちの母親たちにはずいぶん世話になり、どれほど子育てに役立ったかわからない。
 自分も若かったし、夢中であった。ホッとしたわけではないが、右目失明という大事故にあった。おかげでケガも社会生活上致命的な障害とはならずにすんだ。
 ちょうどこの頃から始まった『バブル』景気。私にはそんなものは縁がないと思っていたが、当時流行の「等価交換」で家、仕事場を取得していたところへ、入れ替わりの銀行の説得に、必要のない借金をする羽目になる。それも数億円、特に使うあてもない金だから、金利くらい稼げればと土地、株へ投資した。この軽い気持ちがいけなかった。当時の金利は今の何十倍かの9%くらい払っていた。
 銀行は勝手なもの「情勢が変わった」「担保価値が下がったから」と矢の催促。結局、自分の住まいすらなくなり、今は寂しく隠遁生活。あの時代、人はバブルが消えて困っている人たちに対して同情、いや「ざまみろ」という目で見ていた。しかし、一部の大企業、銀行は政府が助けた。
 いつの世でも庶民は踏みつけられる。こんな世は早くなくしたいものです。
(港)